ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) エルサレム(嘆きの壁と神殿の丘)

嘆きの壁はトンネルツアーがあります。
嘆きの壁はユダヤ教の神殿の壁のことです。ユダヤ教の方々は本当はユダヤ教の神殿の場所でお祈りをしたいのですが、その場所は現在岩のドームがある場所で、ユダヤ教の方は入れません。ユダヤ教の方々が一番神殿に近づける場所が嘆きの壁です。

嘆き壁というと…

の場所ですが、トンネルをくぐっていくと、上の写真の場所よりもユダヤ教の神殿に更に近い壁にたどり着くことができます。トンネルツアーでは、上の写真よりも神殿により近い壁を見ることができます。

トンネルツアーの場所には、そもそもこの場所がどういう歴史で今のような形になっているのかを説明する模型と動画があります。

昔々、ユダヤ教の方々がこの地を平坦にして神殿を建てました。

そこにイスラム教の方々がやってきて、神殿を破壊し、岩のドームを建てました。
というようなことが模型で分かります。

また動画もあります。

トンネルの内部は写真のとおりです。

下の写真が…確か神殿の壁です。
ガイドさん曰く、「特に日本の方は技術は新しい時代の方が優れているとおもっている方が多いがそんなことはないです。実際、この壁の石はとても大きくてとても綺麗に加工されていますが、その後の時代の壁においてはこのような大きさの石を加工したものはないです。今でもどうやって当時この大きさの石をここまで運んできたのか分かりません」。
確かに遺跡ってロストテクノロジーが多いよなあ…と思います。

ここからは神殿の丘に行きました。神殿の丘に入場するのはかなり難易度が高いです。
セキュリティが厳しいことと時間が限られていることの2つがその原因です。
神殿の丘はイスラムの聖地でモスクであるためお祈りしている時間は入れません。イスラム教は1日に5回のお祈りの時間があるので、入れる時間は朝のお祈りからその次の午後のお祈りの時間までに限られます。

イスラム教のお祈りの時間帯は以下の通りです。

ファジャル(Fajar)・・・・・明けがたから日の出まで
ゾフゥル(Zohar)・・・・・正午から昼すぎまで
アッサル(Asar)・・・・・昼すぎから日没まで
マグリブ(Maghrib)・・・・・日没直後
イシャ(Isha)・・・・・就寝前

礼拝 – 日本アハマディアムスリム協会・ナレッジサイトより

時間帯が午前中に限られているだけでだいぶ大変なのですが、さらにセキュリティの厳しさが大変です。すごい厳密にチェックされるので、1人1人にかける時間が長いです。正午までに入れなかった場合はどんなことがあっても入れません。何人まで入れる…というのではなく、時間内に入れた人だけが入れる…という感じです。

これはガイドさんが言っていたのですが、リュックやカバンを持って入ろうとすると、検査が厳しくなって、1日に入れる人数が少なくなります。なるべく手ぶらで、というか、神殿の丘には、みんなが手ぶらで行くことが、より多くの方々が入れる方法だそうです。

地球の歩き方等の書籍を持って入ることは出来ないそうです、というのは、その書籍が聖書だと思われるからだそうです。神殿の丘にはキリスト教徒、ユダヤ教徒は入れません。キリスト教徒やユダヤ教徒に間違えられるようなことはしてはいけない…ということです。

無事にセキュリティを通過して、木製の橋を渡りまして

神殿の丘に入りました。よかった…
エルサレムの街の喧騒とはうってかわって、とても人口密度が低いです。
ところどころでムスリムの方々が勉強会をしています。
昔はみんなこの丘で昼寝しているとかだったそうですが、昨今、イスラム社会へのあたりが強いので、なんとか自分たちを理解して貰おうと、まずは自分たちのことから勉強する…という感じになっているそうです。
確かに私が「中東に行ってきます」というと、大丈夫なのか?と言われます。大丈夫じゃない場所もありますが、大丈夫な場所しか行かないのですが…

岩のドーム、ムハンマドが昇天した場所です。昔からこんなにすごい建物だったわけではなく、この地を支配したイスラム教の国家が、とても神聖な場所ですので、装飾を施していった結果だそうです。現在の金メッキは1964年にヨルダン国王が寄進したものです。

神殿の丘はすごくデリケートの場所で、治安上の理由で2014年10月30日に閉鎖されました
イスラエルとパレスチナ人は血みどろの戦いを繰り広げており、問題の根が深すぎて、10年や20年でもどうしようもないんだろうなあ…と思います。子供達の世代、孫達の世代で解決できているでしょうか…

P1000311P1000333P1000335嘆きの壁、ユダヤ人の祈りの場所です。入るには保安検査場を通過する必要がありますが、岩のドームほど厳密な検査ではないのですぐに入ることが出来ます。ユダヤ教は男性と女性は別々の場所でお祈りすることになってます。左側が男性、右側が女性です。

本来はここではなく岩のドームのある場所…ユダヤ教の神殿のあった場所でお祈りしたいのですが、今、そこには岩のドームがあり、岩のドーム周辺にはユダヤ教徒は入れないので、神殿に近いこの場所がユダヤ教徒の祈りの場所になっています。

その昔はここにすら入れなかったので、ユダヤ教徒の祈りの場所はヘロデ王のお墓…でした。

ちなみに、私の世代の男性は聖闘士星矢のマンガをリアルタイムで読んでいた方も多くいらっしゃると思われ、聖闘士星矢で嘆き壁と言えば、黄金聖闘士が12人揃って太陽の光を作り出して穴を開けたものでして、何かこう、感慨深いものがありました。

かみのやま温泉

かみのやま温泉に行ってきました。 

きっかけは最近行った温泉の話になり、かのみやま温泉がよかったという話を聞いて、では行ってみるかと思ったから…でした。

2月に行くとすぐ近くの蔵王で樹氷が見られることと、駅からとても近い…かみのやま温泉駅で降りて徒歩でも10分くらい、車だとあっという間に着くのがいいかなと思います。

何かすごいおいしいものがあるとか、温泉街の雰囲気が良いとか、そういうのはないです。特に後者の温泉街に関してはまったく期待してはいけないと思います。とっても静かな感じですので温泉にどっぷり浸かる…というところではいいかなあと思います。

かみのやま温泉の歴史は…以下の写真の通りです。
鶴が湯治?をしているのを見つけたお坊さんが「ここに温泉が!」と温泉を発見したのが始まりだそうです。

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そういう歴史もありまして、街の何カ所に足湯があるのですが…おそらく寒すぎるので誰も足湯に浸かっていなかったのですが…鶴の像があったりします。

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街の観光スポットは2つです。
一つは武家屋敷、もう一つは上山城です。

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武家屋敷はいくつかありますが、ちゃんと説明つきで観光できるようになっているのは1つ、集会所みたいになっているのが1つです。上の写真は集会所みたいになっている方の武家屋敷です。

入場料が必要ですが、ちゃんと見られる武家屋敷は以下の写真の武家屋敷です。

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ところどころに、ここが仏間ですよとか、ここが武者隠しですよとかの札があったり

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武家屋敷についてとか、武家屋敷の曲がり作りについてとか、へー、そうなんだー、と思う解説があります。

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武家屋敷って、社宅というか、公務員宿舎なんだなあ…思いました。

もう一つの観光地が上山城でして、中は写真撮影が禁止なので、外観だけになります。
写真撮影してもらって宣伝してもらった方がいいんじゃなかろうか…と思います。確か、上山城は町の歴史をメインに説明していて、地元の人でないとだいぶ退屈な内容だったりするので、全然記憶に残っていない…のが正直なところです。

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上山城の一番上からの景色は、街が一望できてとてもいいと思います。
春になると桜がとても綺麗だそうで、多くの人が来る…と地元の小学生かな…の上山城見学感想に書いてありました。

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宿泊したのは有馬館です。

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ひさしぶりに山形の芋煮を食べました。芋煮、うまいです。

露天風呂は以下の写真な感じでした。冬だと寒いので、私は耐えられないのでささっと中の風呂にいっちゃいますが、いい季節で昼だといいなー思います。

 

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この他にも、岩盤浴的な設備だったり、いくつかお風呂があります。

  • 駅から近い温泉がいい
  • 観光はしなくていいかな
  • いろいろなお風呂に入りたいな

な温泉を探していたら、かみのやま温泉でもいいかなーと思います。東京からだと遠いんですが、新幹線の駅から降りたらすぐなので、そこはいいかなー思います。

清水寺成就院庭園

日本にはたくさんお庭がありますが、清水寺成就院庭園は私が最も好きな庭です。
写真を撮っちゃいけない庭なのが残念なのですが…

成就院の庭の説明はこちらです。
庭の趣向?のテクニックの一つに借景という技法があります。
庭の向こうにある山とか林をあたかも庭の一部分に見えるようにして、庭を広く見せる技術なのですが、 成就院の庭ほど借景だなーというのが分かりやすい庭はないんじゃなかろうかと思います。
いつ見ても「あー、借景だー」と思います。

昼と夜で拝観の仕方が違っていて、昼は人が少ないので適当にいつまでも見られます。個人的には昼間の方がオススメです。

夜は人が多いので、順番に並んで50人ほどの単位で説明を聞いて、入れ替わるという感じです。でもこの庭は月の庭で本来は夜楽しむものであることと、借景をすごくよく体感できるのは夜なので、最初は夜に見るのをオススメします。

説明も面白かったのですが、最近は18禁コードに触れることはいっちゃいけなくなったのでしょうか…烏帽子石は陰茎で~とか説明してくれなくなりました。子供を授かれるようなめでたいものを配置した庭なので、その説明が無いと何かこう…ちょっと足りないなーと思うのです。

成就院の位置はこちらです。
清水寺を拝観しようとするルートの脇道にそれると成就院があります。

いつも開いているわけではなく、 桜の時期と紅葉の時期にだけあいています。
スケジュールはこちらに記載されます。

ちなみに、成就院の前の池の夜の紅葉は素晴らしいです。


私の中で 池に映る紅葉ベスト3に入る…と思います。
ちなみにベスト1は高台寺です。

清水三年坂美術館

私が京都に行くのは大抵、桜の時期か紅葉の時期なので、どうしてもより多くの桜と紅葉を見たいと思って、桜と紅葉以外はスルーするのですが、だいぶ前にKIRIN~美の巨人たち~で放映していた安藤緑山の彫刻が見たかったので、清水寺成就院を見に行くついでに寄ってきました。

最初に見て頂きたいのは、googleの安藤緑山の画像検索結果です。
これ、全部象牙で出来てます。
本物にしか見えません。

KIRIN~美の巨人たち~の解説で確か「誰もがその彫刻を見るとあまりのすごさに笑ってしまう」的なことを言っていました。
実際に実物を見て、確かに、すごいのです…

どうやって作ったのかは謎でロストテクノロジー…と思っていたら、Wikipediaに

その技巧は長らく謎とされていたが、X線透視検査によって1本の象牙に丸彫するのが基本とされた牙彫において、複数の牙材をネジなどで接合することで大作の牙彫を実現していることが明らかとなった。また蛍光X線分析によると、有機系着色料ではなく金属を主成分とした無機系着色料が主に用いられた可能性が高いという。更に顕微鏡による細部観察によって、彫りの段階で細部まで完成させてから着色しており、場合によっては着色後に部分的に彫りや削りを施すことで、素地の白色を露出させる技法を用いているのが見て取れる。

とありました。すごい作り方分かったんだ…でも実際には作れないんだろうなあ…

安藤緑山についてはNAVERまとめに「【超絶技巧】謎の牙彫師・安藤緑山の超リアルな彫刻が凄すぎる」がありますので、こちらがいいかなと思います。

清水三年坂美術館には、この他にも蒔絵、七宝、金工、京薩摩という作るのに技術も手間がかかりすぎます…という逸品がありますので、一度は見てみてもいいかなと思います。

印象に残ったのは、清水三年坂美術館に展示されているものは、若いうち…十代の頃から鍛錬する必要があって、それは十代の頃でないと技術をマスターできないそうなのですが…つまり、今の日本ではもうこれらの逸品を作ることが出来ないわけで、日本どころかもはや人類には作ることが出来ないわけで、なんというか、はかないなあ…と思いました。

ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) エルサレムとベツレヘム編

私はユダヤ教徒でもなく、キリスト教徒でもなく、イスラム教徒でもないのですが、三大宗教の聖地のあるイスラエルのエルサレムは「おおー」と思うところでした。

日本にいると「中東は怖い」というイメージがあって、確かに2014年9月現在、だいぶ情勢が悪いのですが、宗教に興味がある方々にとっては外せない場所なので、ぜひ訪れてみて頂きたいです。

ヨルダンからアレンビー橋を通ってイスラエルに入国してエルサレムに向かいます。
この日は金曜日で ユダヤ教は金曜日の日没から安息日に入るから…だったかな…なので、15時で業務終了です。
セキュリティがすごく厳しくて手続きも何やら複雑で英語が達者でないと通過するのがすごく大変だと思います。私は通過する自信がないです…
添乗員さん曰く、やり方がころころかわるので行ってみないと分からないそうで、何度か通っているけど何か違うことがあるそうです。

アレンビー橋は正式な国境ではなくて、イスラエル側にいるパレスチナ人が何か手続きが必要でヨルダンのアンマンに行く為の場所と聞きました。 ただ観光客はこの場所を通過してヨルダンからイスラエルに入国することができます。

だいぶ時間がかかって、抜けるのに3時間かかったと記憶しています。それでも「いやー、今回は早かったなー」と添乗員さんとイスラエル側のガイドさんがおっしゃっていました。なんでしょう、中東に行くと「まあ、そういう時間感覚でもしょうがないなー」という気にはなるのですが、国境だと何か緊張して時間がたつのがとても長く感じるというか、そんな感じです。

さて、ここから、死海文書が発見されたクムランに向かいましたが、安息日に入るので博物館等はすでにしまっています…しょうがない。

より大きな地図で クムラン を表示

それでも観光客がいっぱい。

なんの変哲もない風景ですが、ここが死海文書が発見された洞窟群です。死海文書の何がすごかったかというと、死海文書が見つかる前の聖書は結構新しい時代に書かれたのですが、死海文書は紀元一世紀頃に紀元前二世紀頃からのことが書かれたものということで、キリストが活動していた頃のユダヤ教の聖書が見つかったこと…文書は時代とともに後生の人がいろいろ書き換えていきますし、ユダヤ教も他の宗教と同様に宗派がいろいろあるので、聖書の解釈の仕方が違ったりするのですが、そもそも昔はどうだったのか?ということが分かるものが見つかったということです。

また、この場所は、「聖杯」があった場所ではないかとも言われていて、ジョーンズ博士が聖杯を求めて来たのは、ここらへんだったはず、とのことでした。そういや、ジョーンズ博士が戦車と競り合っていたのは、こんな砂漠だった気がします…

ここからエルサレムに向かいました。
エルサレムは地区がいくつか分かれていて、最初に観光したのはオリーブ山でした。
地図だと分からないのですが、オリーブ山は「山」なので、高低差があります。
可能であれば、昇天教会/主の祈りの教会あたりまでタクシーかアラブバス…があるかな…であがって、そこから下っていくのがいいです。と、ガイドさんが言っていました。
確かにだいぶきつい勾配です。

最初は主の祈りの教会、イエスが弟子に請われて主に祈りを教えたと言われる教会です。キリストにまつわる教会建物はとても簡素に作られています。キリストが活動していた当時の状況を想像できるようになるべく簡素にするのがポリシーと聞きました。

主の祈りの教会は世界の言語で主の祈りの言葉が書いてあります。見るととても短いです。ユダヤ教の祈りの言葉はすごく長いですが、キリスト教はとても短いです。また、ユダヤ教の聖書はヘブライ語で、ヘブライ語でお祈りするのですが、キリスト教は各種言語でお祈りしてOKと、ユダヤ教よりもハードルが低いのが広まった理由の1つ…と聞いた気がします。
シンプルな方が受けいられやすい…とのは、その通りだと思いました。

日本語もありますが、現代の日本語とちょっと違います。何回か表現を書き換えているそうです。言語は生き物だなあ…と思います。

逆光な神殿の丘方面です。

オリーブ山なのでオリーブがいっぱい。

ユダヤ人墓地。最後の審判の日にここで死者がよみがえると伝えられているので、ここにお墓があります。

谷の底から金のドーム方面を見上げるとこんな感じで、神殿の壁に門があります。

この門は、黄金門と言われて、救世主がここからエルサレムに入ってくると言われています。
黄金門の説明については、ブロックされた黄金門、とムスリム墓地 : こらぼ さらくだと 黄金門 – 悠久の聖地 エルサレムがいいかなと思いました。

主の泣かれた教会。イエスはオリーブ山からの帰途、エルサレムを眺め、その滅亡を予言し涙したと言われる…ので、教会からはエルサレムの方を見られるように窓が大きく開いています。

万国民の教会、ゲッセマネの園にある教会で、いろんな国からの献金で建てられたので万国民の教会です。こちらの文書が説明としてはいいかなと思いました。別名を苦悶の教会といいます。イエスが処刑前夜の最後の夜を苦しみながら神に祈った場所です。

こちらがゲッセマネの園の様子です。

キリストはその思想…でいいのかな、を伝える為に神殿の丘の周辺の教会で、自分の考えを話すのですが、下手なことを話すとしょっぴかれてしまうので、非常に曖昧にぼやっとした感じでしゃべったそうです。それを聞いた弟子も意味が分からなくて、帰り道…帰り道がこのゲッセマネの園だったりオリーブ山だったりしたそうですが、ここで弟子さんたちが「さっき言ったことはどういうことだったのですか?」と聞いて、それはこういう意味だ…と弟子たちに教えを説いたのが、ここらへんだそうです。2000年前の出来事の場所が、今もこうやって残っているのはなんか、こう、すごいなあと思います。

ここからは、ヴィア・ドロローサです。
イエスが死刑の判決を受けて十字架を背負わされて磔の刑にされるまでの道です。イエスがたどったこの道を追体験するために多くの巡礼者がいます。実際に大きい十字架を背負って祈りながら歩く方もいます。私、オタクですが、まさにリアル聖地巡礼で、なんというか、キリスト教との方々が、イエスの気持ちになって、この道を歩くと感無量なんだろうなあ…と想像します。

エルサレムはいろいろな国?民族?が入れ替わり立ち替わり来た歴史があります。
下の写真は、ここに門があったっぽい後が見られます。

ここがヴィア・ドロローサの第2留…だと思います。鞭打ちの教会です。ここでイエスは十字架を背負わされます。

とことことイエスが辿った道を歩いて行きます。

第3留、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまづいた所です。
ポイント…と言えばいいのでしょうか、ポイントごとに祈祷所があり、キリスト教徒の方々は祈祷所で祈祷しながら歩いて行きます。

キリストの教徒の聖地であるとと共に、ここは繁華街ですのでもちろん生活している人もいっぱいいます。我々のようなキリスト教徒ではない観光客もいっぱいいまして、だいぶ混んでいて歩くのが大変です。

こんな感じで人がいっぱいです。現地のガイドさん曰く、これでも空いてるそうで、混んでて歩けない場合は…このときはすべてのポイントを回りましたが、ポイントをすっ飛ばさざるを得ないと言っていました。

第8留、イエスがエルサレムの娘たちに「私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい」と語った場所と言われている場所です。なんで指をいれているのか忘れました…

第9留、イエスが3度倒れた所です。ここは人が少なかったです。繁華街の通りから外れるからだと思います。

ここ以降は、ゴルゴタの丘の上に立てられた聖墳墓教会の内部になります。聖墳墓教会は当たり前ですが人が多くてかつ複雑な構造になっているので迷います。キリスト教にも、いろいろな宗派があって、それぞれの宗派がこの教会の中に配置されています。

イエスの墓です。

中に入ってお祈りできるのですが、人多いです。ガイドさん曰く、ツアーの限られた時間の中で入れたことはない…と言っていた気がするので、個人でいって時間が目一杯無い無理かなと思います。キリスト教徒の方でしたら、一度は行きたいのかなと思います。

以下、教会の中の様子です。

最後の写真は、イエスが息を引き取って香油を塗られた場所です。
友達にキリスト教系の学校の方がいるのですが、聖書の世界がここにある…ので、なんとかお金と時間を工面して来てみて頂きたい…と思いました。聖書をある程度しか知らない私でも「あー、ここかー」とおもうところがあります。

ここはシオンの丘にある最後の晩餐を行ったと言われる場所です。だいぶ殺風景だったりします。そして、写真はない…というか取れないので写真がないのですが、この下にダビデ王の墓、ユダヤ教の方々にとって大事な場所があります。今でこそユダヤ人が嘆きの壁に近づくことができるようになりましたが、嘆きの壁に近づくことを許されなかった時代は、ダビデ王の墓がユダヤ人の方々の祈祷の場所だったそうです。

ダビデ王の墓を見る為には、男性の場合、帽子を被る必要があります。帽子は、ユダヤ教の何かがある場所には必ずおいてあるので、何か用意する必要は無いです。帽子はキッパーと言います。その意味は「神に対して頭を隠すことで、神に対しての謙遜の意思を表す」ということです。ガイドさんには、神と私たちが同じ位置にいるのはよろしくないので境界として帽子を被る…と説明を受けた気がします。

シオンの丘からの風景です。

 

こちらは鶏鳴教会です。とても有名な話の場面に建てられた教会です。
「ペテロ、お前は、鶏が鳴く前に、イエスを知らないと三度言う」とイエスがペテロに言って、いやいや、イエス様、私がそんなことを言うはずはないですと思っていたら、ゲッセマネでイエスが逮捕されてました。そして…

ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

というわけで、イエスの言った通りになってしまいました。
で、 そんなペテロを非難してこの教会が建てられたわけではなくて、人間の弱さ、人間は弱い者であるということと、そしてペテロはその後、キリストの教えを広める為にとても精力的に活動して、イエスよりえげつない方法で殺される…逆さ十字架にかけられたということになっていますが、ちゃんと反省して頑張ったぞ、というのを私たちが認識するために建てられてます。
ペテロが殉教した場所はサン・ピエトロ寺院が建てられて、ペテロの偉大さが分かります…

鶏鳴教会の横には、キリストが歩いたと言われる石段があります。今は保存のために歩けないですが、昔は歩けたそうで、なんというか、すごいなーと思います。

ここからイエスが生まれたと言われるベツレヘムに行きます。
ベツレヘムはパレスチナ自治区にあります。
イスラエルとパレスチナ自治区は壁で区切られているので壁を越えてパレスチナ自治区に入ります。壁については後ほど…

こちらは聖誕教会で、イエス誕生の地として教会を建てたところです。

写真を撮っていないのですが入り口がすごく狭いです。2002年この教会にパレスチナ人が立て籠もって教会を包囲したイスラエル軍と対立するということがありました。
そんな緊迫した状況で、日本人がトコトコとやってきて「観光したいんだけど入れますか?」と教会にやってきたそうです。教会の方が「いやいや、ここは観光とかそんな状況じゃないんですよ」と伝え、日本人は「そうなんですか」と帰ったそうです。なんというか、日本人らしいですよねとガイドさんが言っていました。

教会内部です。当時は天井…かなを大々的に修復していました。これは日本の東日本大震災を受けて「あれだけの地震が起こる」ということで、いろいろなところで地震対策がはじまっていて、その1つだそうです。

さて、パレスチナ自治区にきて、私が一番衝撃を受けたのが、イスラエルとパレスチナ自治区を分離する壁です。

この壁は第2次インティーファーダ(民衆蜂起)でパレスチナ人によるイスラエル側への自爆テロを防ぐために作られた…でいいと思います。パレスチナ自治区とイスラエル…ちょっと表現に迷うのですが…パレスチナ人とイスラエル人の住んでいるところの敷居は特になくて、トコトコ歩けばそこはパレスチナ自治区/イスラエルだったりしたわけです。第2次インティーファーダの際、パレスチナ人がイスラエルを攻撃する際に、子供を前面に出して、その後ろから大人がイスラエル軍を攻撃するという戦術をとったこともあり、イスラエル軍は子供を撃つと国際社会で避難を浴びることになり、それを知っていて子供を盾にするという戦術が選択される…という憎しみが憎しみを呼ぶ戦いが起こっていたそうです。この状況を打破するためには、パレスチナ自治区とイスラエルを物理的に分断するとかないということで、分離壁が建設されました。分離壁が建設されてからは、テロは起こっていないそうです。

分離壁とパレスチナ人にとっての分離壁については壁の向こう側 ―隔たれるイスラエルとパレスチナの今―がいいかな…と思います。

イスラエル人は、イスラエルからパレスチナ自治区に来ることは出来なかったのですが、現在は「パレスチナ自治区で何があってもいいです」という誓約書だったかな…があれば行けるようになったと言っていたと思います。
パレスチナ人は一部の人しかイスラエルに出ることは出来ないです。

こちらがチェックポイント、イスラエルとパレスチナ自治区を行き来するところです。
ガイドさんもパレスチナ自治区にひさしぶりに来たそうです。昔はイスラエルもパレスチナ自治区もそうかわらなかったけど、壁が出来て、ひさしぶりに来たらだいぶ変わっていたと、とても貧しくなっていること、パレスチナ自治区に住んでいる子供達は壁の向こうを知ることができないので、今までは否が応でも異文化がすぐそこにあったのに、それがない、ゆえに異文化を理解する機会が無いと言っていました。

ベルリンの壁は崩壊しましたが、この壁はおそらくベルリンの壁よりも全然厚いと思いました。壁を隔てた民族には今のところ憎しみしかないように思えます。ガイドさんに「イスラエル人とパレスチナ人がなんとかうまくやっていく方法はないんですか」と聞いたところ、「うーん、少なくとも大人の間には憎しみしかないから駄目だろうなあ、子供達に託すしか無いよね、だから私は子供達に異文化を理解してもらうようにいろいろやってる、まあ、ベルリンの壁もなくなったし、いつかはなくなるんじゃないかなー」と言っていました。

 

 

 

 

 

ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) ヨルダン編

2014年3月にヨルダンとイスラエルに行ってきました。

ヨルダンにはペトラ遺跡があります。
ペトラ遺跡はインディージョーンズ 最後の聖戦の映画のロケがあったところで子供の頃にそれなりに インディージョーンズが好きだった私はいつか行きたいなあと思っていました。
が、ヨルダンは見所がペトラ遺跡/死海/ワディラムの3つくらいしかない…と思う…ので、なかなか優先度があがらなかったのですが、世界の遺跡をだいたい見たことと、中東はいけるうちにいっておかないと、行けなくなる…実際エジプトだったりシリアだったりがいけなくなっています…ので、行こう!と思って行ってきました。

今までいろんな遺跡を見て来ましたが、ペトラ遺跡はよかったです。何がいいかというと遺跡までのシークと呼ばれる道が最高にいいと思います。シークがなかったら、ただの遺跡であまり面白くなかっただろうなあと正直、そう思います。

ヨルダン等の中東はドバイ等を経由していくのが標準なのかと思います。
今回はドーハを経由して行きました。

ドーハはカタールという国の都市で、カタールがどういう国か?というと 日本との関わりで見ると、天然ガスを輸入している国になります。

石油ガスで成り立っている国で、1人あたりのGDPが滅茶苦茶高く、国民の大半は公務員で、とても裕福だそうです。ドーハを案内してくれたのは、ネパール人の方だったり、工事現場で働いているのは外国から来る出稼ぎの方々です。

ドーハで訪れたのは、トランジットの際に利用できるツアーで、ドーハの悲劇のあったサッカースタジアム、ラクダ市場、空港会社が運営しているショッピングモールの3つです。

もともと砂漠しかなかったので建物はなく、現在ある立派な建物は全部オイルマネーで作られた最近のものです。
なので、見所があるかというと…遺跡大好き人間からするとまったくないのですが、オイルマネーすごい…なのを実感できます。

カタール国籍の方が住むには問題ないですが、外国人向けの何かは何もかも高いです。確か出稼ぎにきている方々も住居費用が高いので、うーん、どうなのかなあ…稼げるのかなあ…と思いました。

さて、ペトラ遺跡はナバタイ人が紀元前に作った街で、紀元前によくこんなもん作ったなあ…と思える遺跡です。いろいろEvernoteに記録したのですが、Evernoteはオフライン状態で記録して、オンラインに移ったときに同期が失敗して、それだけだったらローカルにデータが残っているからいいのですが、この問題を解決するにはVerをUpdateしてくださいとのことで、Updateしたらローカルのデータも壊れた、というなんとも悲しいことになり、記憶を辿って書きます。Evernoteはオンライン状態じゃないと使わない…と誓いました。

まず、以下の写真のような道をテクテク歩いて行きます。

ペトラの遺跡は入り口から遺跡にむかって下っていく感じになりますので、行きは結構楽です。帰りが上りになることと、ペトラ遺跡は遺跡の例に漏れず結構広いので、くまなく歩くと結構体力を消耗します。また、私が行ったのは3月でしたが、すでに結構暑かったので、夏は厳しかろう…と思います。

ペトラの遺跡のガイドブックとしては、地球の歩き方が鉄板だと思います。無茶苦茶詳しく書いてありますので、これ一冊で十分だと思います。

ここからシークに入っていきます。ペトラの遺跡はシークからエルハズネがハイライトだと思うので、いきなりハイライトです。テンションがとても高くなります。

シークは水の侵食により滑らかに削られた自然の地質断層(Wikipediaより)で、なんか、今、写真を見ると全然感動がないのですが、そしておそらく私の撮った写真をご覧になってもまったくそのすごさが伝わらないと思うのですが、もう、なんというか、どこをどう見ても、どう写真に撮っても絵になるという、なんかすごいところでした。

添乗員さんにツアーで一緒だった方が「どこが写真を撮るのにいいポイントですか」と尋ねていた答えが「いやあ、どこを撮っても絵になりますからねえ」と回答していたのが印象的でした。

ペトラの遺跡は治水技術がとても発達していてシークの脇には当時の水路が見られます。


この写真は確か水の中にある砂とかを落とす為に穴がだったと思います。ところどころにあります。


こちらはダムです。 当時のままということで、いやあ、よく残ってるなあ…という感じです。

高い治水技術を誇るローマ帝国は、新たな征服地ではまず水利設備を整えるのが習わしであった。ペトラは106年にローマ帝国に併合されたが、その水利システムは、すでに当時最高水準に達しており、ローマが手を加えるところなどほとんど残されていなった。
地球の歩き方より

ということで、すごかったんだろうなあ…と思います。


こちらがヨルダンのハイライトの一つであるペトラ遺跡のエル・ハズネです。
インディージョーンズ最後の聖戦で聖杯がある場所です。実際に聖杯があった…と思われる場所はここではなくて、また違う場所です。太陽があたる午前中の方が美しいそうです。
エル・ハズネの写真は、シークの隙間から見る…的なものが多いと思いますが、午前中にシークの隙間から写真をとると、エル・ハズネが明るすぎるので、シークの隙間から撮るんだったら午後なのかなーと思いました。
ペトラの遺跡は広いのと、来た道を帰ることになるので、帰りに写真を撮れば…OKです。

こちらが午前中に撮った写真。

こちらが午後に撮った写真です…、むむ、午前中の写真の方が綺麗に見えるかな…

ヨルダンのお土産の一つにサンドボトルというのがありまして、色のついた砂をうまいこといれて、模様が瓶の表面にでるようにするものです。作るところ見たのですが、職人芸でした…
砂をいれて模様を作って接着剤で固めて…を繰り返してできます。
頼むと自分の名前だったりをいれることができます。

ペトラの遺跡はエル・ハズネがハイライトだったりするので、ここを超えるとそれ以上の感動はあまりないのですが、遺跡が好きですと、いやあ、紀元前とか西暦100年代とかによくこんなの作ったよなーとか、当時はすごかったんだろあうなあ…とか思います。遺跡って風化したり、地震で壊れたり、洪水にあったり、火災にあったり、戦争があったりでボロボロになっているので想像力が必要かなと思っています。最近は想像力がなくてもCGで再現して見せてくれるのもあったりして、そういうのがあると好きです。

上の写真は円形劇場です。ローマの支配を受けた都市には必ずあるので、今までいっぱい劇場を見てきました。円形劇場があると、ああ、ローマの遺跡だなーとか思います。確か円形劇場の大きさで当時の人口が推測できるらしいので重要だ!的な何かを読んだ記憶があります。

観光地として整備される前は、穴がいっぱいあいていて住みやすいので、ベドウィンが住んでいたそうです。そのベドウィンにどいてもらって、で、そのベドウィンがどうなったか?というと、遺跡の近くに建設された上の写真の街に住んでいるそうです。そしてペトラの遺跡で働いてます。

建物の上の方に階段っぽい彫刻?があります。確か意味はわかっていないけど、おそらく神様に近くいくために階段を彫ったんじゃないか?と聞きました。

上の写真は街のメインストリートだったところの写真です。

こちらはビザンチン時代の浴場跡です。日本人はなんでそんなに風呂が好きなんだと、外国の方からすると疑問だ、と聞いたことがありますが、遺跡に行くと結構、風呂、あります。なんで、現代はシャワーの文化なのかな…と思ったらWikipediaによると、なるほど…という感じでした。

ペトラの遺跡の一番奥にエド・ディルがあります。だいぶ奥で、階段を結構歩いて登っていきます。

こちらがエド・ディルです。頑張れば…ちょっと入り口が高いので頑張らないと入れないのですが、入れます。入っても何もないですが…
シークを通ってエル・ハズネを見ると「おおー、すげー」と思うのですが、あちらを見た後だとあまり感動しないです。過程は重要だなーと思います。

後ろの山に登ることができまして、登る途中に休憩所だったかな…頂上はこちら…だったかな…の看板を無視してのぼっていくと、上からエド・ディルを見ることができます。
ちなみに、写真には写っていないですが、エド・ディルの正面には小さい店があるので、飲み物を飲みながら、エド・ディルを見られます。

ぬこです。健康状態良好そうです。

帰り道に街全体を見られるところから。
結構広いのですが、遺跡が点在している訳では無いので、1日あれば、入り口から奥まで行って帰ってこられます。

今までいろんな遺跡を見てきましたが、ペトラの遺跡は満足度が高いと思います。遺跡がお好きでしたらぜひぜひ行って頂きたいかなと思いますが…ヨルダンは有名所が、ペトラ遺跡と死海とワディラムしかなくて、他の地域に比べるとせっかくここまで来たからいろいろ見る的なのが難点かなと思います。地球の歩き方も題名が「ヨルダン」ではなくて「ペトラ遺跡とヨルダン」となっていますので…

ケニア(2013年9月8日~9月14日)

2013年9月にケニアにサファリをしにいきました。

私は道祖神というアフリカの旅行についてとても古くから扱っている会社さんのツアーで行きました。アフリカは遠いのでお値段が相当張ります
※英語が達者で手配を全部自分でやれば…1人35万円で行ける気もします。

絵画が好きな方がルーブル美術館やプラド美術館やイタリアの数ある美術館に行って超絶感動するのと一緒で、動物が好きだったら一度はライオン、チーター、カバ、サイ、アフリカゾウがどうやって生きているのかを見たいと思いますが、ヨーロッパに行く1.5倍から2倍のお金がかかるので相当ハードルが高いです。

が、いやあ、行って良かった…

これでまた上野動物園で動物を見るとき「ああ、カバはあんなだったなあ…」と思いを馳せながら見ることが出来ます。

私が参加したツアーはアンボセリ国立公園→ナクル湖国立公園→マサイ・マラ国立保護区と3箇所を巡りました。

こちらは、確かサバンナヒヒです。ロッジのすぐそこにいます。
ケニアに行った、というとご飯はどうだったのか?と聞かれます。
サファリは基本食事はホテルやロッジのバイキングでして現地食?ではないので、お腹壊すとかそういうことは一切ないです。

動物園で暖かい地域の動物を見ると色がカラフルだったりします。なんという名前かわからないのですが、トカゲがすごいカラフルで、これが熱帯か…と思いました。

最初にいったアンボセリ国立公園はアフリカゾウがたくさんいるところです。砂漠化が進んでいることと、9月は確か乾期ですので、土埃が大変なことになっています。しまうま(ゼブラ)がとことこ歩いて行きます。

シマウマはとても規則正しく生活していて、朝にどこからともなく集団で歩いてきて、草を食べる場所にくると草を食べ、夜、暗くなる前に寝床に帰っていきます。
以下、夕方にキリマンジャロの方に帰っていくシマウマたちです。

ゾウのメスは群れで暮らすんですよ、と動物園で説明を受けます。
ああ、確かにそうなんだなあ…と思いました。

互いにじゃれあったりもします。

私のカメラはとても非力で光学3倍までしかないコンデジです。
そのため動物のでかい写真があまりないのですが、たまに近くまで来てくれた場合は大きく撮れたりします。
小さい動物ほど、近づくと逃げたり、とても素早いので、全然撮れません…
もし、次にサファリに行くことがあれば…ちゃんとしたカメラを持っていこう…はぅ…

アフリカゾウの横にサギがいます。何サギかわからないのですが…確かゾウが歩くと虫が出てくるので、それをパクッと食べる…ためにいたんだと思いました。

かわいいは正義とはよく言ったものですが、小さいゾウはかわいいですね。

ヌー、マサイ・マラ国立保護区に行くとまるでアリの大群のようにヌーがいっぱいいるのですが、こうやって単独でいるヌーもいます。ドライバーさん曰く、年をとるとこうやって単独で行動するようになるそうです。

アリの大群のようなヌーの大群は以下の写真です。


いやあ…、都会だったら人間もこんだけいますけど、田舎じゃこんなに人間いないわー、思いました。

アリクイの腕と手ってすごい立派で、その腕と手で蟻塚をガっと壊して中のアリを食べると聞きました。しかし、私がこれまでみた蟻塚ってたいしたことなくて、なんであんな立派な腕と手が必要なのかと思ったら、ドライバーさん曰く「あれ、蟻塚」。
でかい…、堅そう…、そら、立派な腕と手が必要だわ…

ここらでサバンナっぽい風景を…
現在の人間の祖先はアフリカが起源で、アフリカから世界各地に散らばっていった説が有力です。有力というか確定なのかな…なので、原風景?なのかなと思います。当時はこんなに砂漠してなかったと思いますが…

さて、何がいるでしょう?
水の中にカバがいます。
結構見つけにくい動物がいっぱいいるのですが、だんだん慣れてきて「あ、あそこにカバが!」とか、気がつく力が身につきます。それでもあまりドライバーさんには勝てないのですが、たまに勝てます。 ドライバーさん、草むらに寝てるチーターとかよく見つけるんですよね…

ホロホロチョウ、ドライバーさん曰く「おいしい鳥」。食べるとおいしいので乱獲されたそうです。丸丸太った体がラブリーです。

ナクル湖の紹介写真には必ずフラミンゴが写っていると思います。フラミンゴ見られるかな…と思っていたら、見られました。とてもたくさん…
双眼鏡で見ると本当にわんさかいます。
全部フラミンゴかというとそんなことはなく、ペリカンもいます。

サイにはクロサイとシロサイがいます。クロサイは見られたらラッキー、シロサイは見られる…そんな感じだったと記憶しています。クロサイとシロサイの違いは口の違いで、クロサイは森の中で葉っぱを食べるのでとがった口を、シロサイは地面の草を食べるので平らな口をしています。クロサイは通常森の中にいるので見られないです。以下はシロサイの写真です。

キリンもいっぱいいます。キリンもいろいろ種類…種族?がいまして、以下の写真はウガンダキリン…だと思います。アカシアという来の葉っぱをむしゃむしゃ食べます。アカシアの木の葉っぱは痛そうにとがっているのですが、関係なしにむしゃむしゃ食べます。ドライバーさんは「アカシアは食べられないようにとがっている」と言っていましたが、そんなの関係しにむしゃむしゃ食べます。

牛や馬の周りはハエがブンブン飛んでいるイメージがあります。アフリカ水牛は、その虫が付くのが嫌なので、自分の体に泥を塗って虫が寄りつかないようにするそうです。以下の写真は泥を塗りつけているアフリカ水牛さんです。

日陰で寝るライオン。昼間は暑いので日陰で寝ています。日陰で寝ているライオン、チーターはいくつか見ました。しかし…ドライバーさんは草むらに沈んでいるライオンをよく見つけられるなあ…思います。そういえば、そんなに近寄って大丈夫なのか?と聞かれるのですが、サファリカーは食べられない?からでしょうか、ライオンさんたちは私たちのことはあまり気にしていない気がします。

小さい子供はかわいいもんですが、ライオンの子供も例外なくかわいいです。ライオンは猫ですよね、猫、かわいいです…

ナイバシャ湖ではボートサファリができます。自分が行ったときは1時間で30$でした。ボートに乗ってカバとかトリを見ような感じです。ボートサファリがカバを一番間近で見られるかなと思います。

ペリカンもいました。ペリカン、でかいです。ペリカンがこんなにでかいなんて知りませんでした…

あと、なんのトリがわからないですが、トリ…

ハゲコウ。無茶苦茶でかいトリです。ナイロビの市内の交差点にもドライバーさん曰く「都会派」のハゲコウがいます。町中にあんなでかいトリがいたら、びびります。襲われたら絶対負けます。

草食動物もいっぱいいまして、下の写真は多分ガゼルだと思います。ガゼルが遊んでます。カゼルに限らず意外に草食動物はチーター等の肉食動物がいても、普通に草をむしゃむしゃ食べている気がします。この距離なら大丈夫…という距離があるのでょうか…

サファリで「うおー、すげー」と思ったのは、ハゲワシが屍肉に群がってむしゃむしゃ食べている光景でした。写真だと音が伝わらないのですが、すごいです、「ギャー!、グワー!」な声が響きます。サバンナって結構静かで、あとはヌーが「ヌー、ヌー」って泣いているのが聞こえるくらいなのですが、ハゲワシすごいっす。

チーターはなかなか見られない…らしいのですが、よく見る事ことができました。写真は撮れなかった(つーか、無理です…)のですが、チーターがガゼルを狩る光景も見られました。すげぇ早くて、双眼鏡で必死に追って私は見られましたが、望遠カメラでは無理だーと望遠カメラの方が言っていました。以下木陰にいるチーターと歩くチーターです。
 

肉食獣といえども自分より大きい動物は倒せないそうですので、んーまーそうか…と思いました…ので、ヌーはチーターのことをあまり気にしません。

ヌーをしとめたメスのライオンです。いやー、本当なんだなーと思ったのは、狩ってもオスのライオンがくるまで、狩った獲物のそばでずっと待っていることでした。本で読んでいて知ってはいても、その光景を見ると「いやあ、本当にそうなんだなあ…」と感慨深い物があります。

ライオンの口って結構汚くて…んーと、汚いというか虫がいっぱいいます。多分、肉をむしゃくしゃ食べて、その血肉が口の周りに付いているからだと思うのですが…下の写真で…わからにくいのですが、口や首の周りにある黒い点々は虫です。

さて、以下はまたカバの写真です。なんていうか、カバってカメみたいに、密集して暮らすんだなーと思いました。

ちなみにこの川はヌーが大群でどどどどどっときて渡る川です。
渡る途中で子供だったり老人のヌーはワニにやられます。
以下ワニです。

カバとワニは結構近くにいるんですが、カバは大きいのでワニは勝てません。というか、カバは結構凶暴だそうです。ワニは爬虫類で卵を産むのは地上?なので、陸の上にもいたりします。

再び百獣の王です。ごろーんです。口の周りがむしだらけです。
 

ハネムーン中のライオン…とドライバーさんは言っていました。
この後、オスライオンが交尾をしようとして、メスライオンに拒否される的な光景がありました。

シマウマをしとめたメスライオンです。このメスライオン、一生懸命シマウマを運ぶのですが、どこに運ぶのかな?と思ったら、木陰でした。確かに、熱いもんなあ…、ちゃんと涼しいところでオスを待つのですね。

サファリの書籍としては以下の本がお勧めですが流通しているのかな…
いつもは地球の歩き方を買うのですが、サファリに行くと本当にサファリしかいないので、サファリに特化した本がいいと思います。

日光(2013/12/12~2013/12/13)

2013年12月12日から13日にかけて日光に行ってきました。
この時期の日光は滅茶苦茶空いていました。
日光は紅葉の時期はとても混みます。
タクシーの運転手さん曰く、最悪いろは坂を登るのに4時間かかるとか…
※ちなみに下りはすいすい動くそうです。

しかしながら紅葉の時期の中禅寺湖、奥日光はお勧めだそうで、じゃあどうすればいいんだ!な感じなのですが、中禅寺湖で宿を取って最悪4時間かけて登る、だそうです。
むー、4時間トイレなしで耐えられるだろうか…

さて、そんな紅葉の時期も過ぎて、ホテルもレストランも一休みな感じで、「いつもこんな空いてるんですか?」と聞くと「やっと落ち着きましてねえ…次は正月くらいに混みますね」とのことでした。

日光金谷ホテルの冬のスペシャルランチのニジマス。
ニジマスっておいしいんですね、という話を次の日タクシーの運転者さんに話したら「ヒメマスが一番うまいんですけどね、でも中禅寺湖は放射線量が高くて食べられないんですよ」と答えが返ってきました。
こんなところにも福島の原発の影響が…知りませんでした…

紅葉の時期は日光金谷ホテルのレストランはいっぱいいっぱいだったそうですが、この日は私含めて5組くらいの来店でした。ゆったりです…

東照宮のハイライトの一つの陽明門は修理中です。修理中なので観覧料がいつもよりお安くなっている…と思います。

修理のために門の壁を剥がしたら中から当時の絵が!という新しい発見があり、ガラスだったかな…プラ板だったかな…越しに見られます。陽明門の修理完了は平成31年ですので当分見られません。

そのかわり、ずっと修理中だった唐門とその奥が完成していまして、とても綺麗になっていました。

見所は職人さんが木を彫って作った数々の人や動物や植物です。
いやあ、本当に、よく彫ったよねと…見るたびにそう思います。
昔作られた物って、今だったらいくらお金を積んだら出来るんだろう…的な何かがいろいろありますよね。

さて、今回泊まったのは、日光星の宿という宿です。
お一人様プランがある宿です。
夕食どころでお一人様は私だけでしたが。

湯葉ができたら自分ですくって食べ、にがりを自分で入れて豆腐にして食べる…ものです。
おそらく私がやるより作って貰った方がおいしく出来る気がするのですが(豆腐作るの失敗しました…)、何事も自分でやった感って大切ですよね。

写真を撮り忘れてしまったのですが、酢の物がとてもうまかったです。料理名は牡蠣と長茄子のコラボレーション。牡蠣がすごくうまかった。牡蠣って「苦いっ!」と思って、多分それが大人の味なのだと思いますが、その苦さがなく、酢が弱めで好み。肉を食べた後の料理がこれでしたさっぱり頂きました。だからこの順番なんだなあ、よく出来てるなあ思いました。

あと、おいしかったのはデザートのプリン…にかけるカラメルソース。多分、カラメルソースにコーヒーが入っていたと思うのですが、ああ、カラメルソースにコーヒーをいれるとすごくうまいんだなあ…思いました。カラメルソースを工夫するっていう思想が私の頭の中にありませんでした…

鰆にのっかってるベシャメルソースもうまかったです…ホワイトソースは料理教室に行っていたときはたまに作っていましたが作るの面倒です…、鰆とベシャメルソースは合うんですね。

私はお酒があまり飲めなくて、日本酒もまあ飲めるけど飲むと吐く、と思っていたのですが、「いつもは何かを飲んでから日本酒を飲むから吐くのではなかろうか」と思い、利き酒のセットをお願いしました。

「最初から持ってきてください」と頼んだら「もう?」と思われていましたが…

私、アルコール度が少ないからという理由で飲み会ではビールを飲むか、甘いのが好きなので梅酒を水割りで飲むかなのですが、ごく少量しか飲まなくていいなら、日本酒を少しだけ飲んでほろ酔いくらいになるのもいいなあ思いました。

3つの中では一番左の葵日光が好みでした。次点で四季桜でした。

次の日、朝ご飯を頂いて、奥日光へ。

Evernoteは便利なのですが、たまに

  • 写真を撮って保存して、また写真を撮って保存して、とすると「衝突があります」とでて、二重に登録される
  • データが壊れて開けなくなる

ということが起こります。起こるのは私だけでしょうか…
以上からEvernoteはあまり信用していないのですが、「今回は大丈夫かな」と思ってEvernote一本で記録していたら写真のデータが壊れました…
具体的には写真を撮って保存したのですが、スマホ側ではその画像を開けないというものです。再同期してもNG。家に帰ってノートPCで開いたら、開ける写真が大半だったのでほっとしました。

次からは普通に写真を撮って、後でEvernoteに写真を添付する…という方法で行こうと思います。こうすれば、少なくともスマホに写真が残りますので…

さて、2日目はタクシーを借りて(私は車を運転できません…)湯本温泉まで行って、そこから日光駅まで戻ってくることにしました。

奥日光 湯本温泉は

群馬県・万座温泉、新潟県・月岡温泉、福島県・高湯温泉に次ぐ日本で4番目に濃い硫黄温泉です。
かけ流し乳白色の濃い硫黄温泉でなければ温泉に入った気分がしないというお客様は奥日光湯元温泉の硫黄温泉にお越し下さい。
(湯元温泉は『日本で四番目に濃い硫黄温泉』と言われ、全ての施設が100%本物の温泉です)

ということで、硫黄臭いです。温泉!って感じがします。お湯も豊富にコンコンと湧き出ています。

が…、なんなのでしょう、この寂しさは…

朝早い…といっても10時30分くらいなのですが、歩いているのは私とタクシーの運転手さんだけです。

「ここって、いつもこんなに人がいないんですか、閑散期だからいないだけですか?」
「そうですねー、暖かい時期はちゃんといますよ」

そうかー、暖かい時期はいるのかー、ということですが、背景に見える旅館、ホテルは、

  • つぶれた
  • 夏しかやってない(人が来なさすぎなので暖房するだけ無駄)
  • 修学旅行生が来たときだけ運営

なものも多いそうで、景気悪いです。
しかし…なんといいましょうか…お金があるころに草津温泉の湯畑のように整備していればもっと良い観光資源になった気がするのですが、ただお湯がダダ漏れになっているこの風景を見ても何も楽しくないです…、お湯に触って「熱っ!熱いわ!」なくらいかな…
参考に草津温泉の湯畑の写真を下に示します。

ちなみに湯ノ花も取ろうと思えば取り放題ですが、何かを中和しないと持って帰って風呂にいれると風呂釜が壊れる気がします。

「滝巡りは好きですか?」
と、タクシーの運転手さんに聞かれ、答えに窮したのですが、曰く「滝の鑑賞は冬が最適である、なぜなら冬は葉が落ちて一番よく滝が見えるから」とのこと。

以下、竜頭の滝⇒華厳の滝⇒霧降の滝です。

小石川後楽園で庭園の解説を受けたときに「日本人は農耕民族で、農耕民族は山があって水があると落ち着くから、庭園にも山と池があるんですよ」的な話を聞いた気がするのですが、水がじゃばじゃば流れている音を聞くと落ち着きますよね。

冬だから止まっていると寒いのですが…

霧降の滝、初めて見ました。確かに葉が生い茂っている時にくると滝が見えない気がしました。ガチなカメラを持っている方が三脚でカメラを固定してバシバシ写真を撮っていたのが印象的でした。

霧降高原を後にして、連れて行ってくれたのは憾満ヶ淵でした。

「第二の日光と言われていましてねえ」…
という、なんと怪しいんでしょう!的な説明を受け、到着。

見所は、男体山が噴火して流れてきた溶岩流が長い時間をかけて水に削られて出来た川と、淵に設置された地蔵100体…実際は70体くらいだそうですが、の地蔵だそうです。外国人に人気らしく、その日も西洋系の方とアジア系の方がいました。日本人は我々だけでした。

ちなみに、ここらへんの界隈は外国人向けの宿が多いそうです。例えば以下の建物は外国人向け…外国人といってもヨーロッパの長期滞在旅行者向けですね。

タクシーの運転者さん曰く「よくご存じだと思いますけど、外国人を相手にしないと、やってけないので、増えましたねえ、ああいう宿」とのこと。
客としては中国人が多いのかな?と思って聞いたところ「いやあ、ヨーロッパの人が多いですね」と。

思うに、中国人、韓国人は団体で来るのでタクシーを使うことがないから、タクシーの運転手さんからすれば、ヨーロッパの人を相手にすることが多いので、ヨーロッパの人が多いように見えるかな思いました。

「しかし、ヨーロッパのお客さんは、どうしてあんなに荷物が多いんですかね、絶対に4人乗れないことが分かっているんで、3人しか乗せませんよ。あと、荷物と1人だけ乗って、後の連れは歩いて宿に向かうってのも多いですね、タクシーは荷物運び屋じゃないんですが」と。

「ヨーロッパの方はタクシーで観光はするんですか?」と聞くと「ヨーロッパの人は、もう、それはゆっくりと歩いて観光しますよ、彼らは1週間くらいは滞在して、本当にゆっくり観光しますから」とのことでした。これがバケーションってやつか!と思いました。

最後にタクシーの運転者さんが連れて行ってくれたのはだいや体験館

 こちら、東照宮の1/10の模型があります。
いや、 すぐそこに本物があるからいらなくね?と思ったのですが、東照宮は車椅子だと見学できないのでとても意味があるのだとか。なるほど…と思いました。

本当によくできていて、この模型を前にタクシーの運転者さんの解説がはじまりました。
東照宮の解説は1度聞いているのですが、ああ、そういやそうだったなーと思い出しながら、また解説を聞いたりしてました。

他、日光は水力発電所がたくさんあるんだ等、水力発電所を見たり、ここ変電所に見えるでしょ、じつはそうじゃなくて古河電工が変圧器作ったときに実際に組み立てて動作試験をするための施設なんですよとか、おいおい、私がそういうのに興味があるってどうして分かるんだ的な日光の世界遺産や自然と関係ないことを教えて頂きまして、とても楽しい時間を過ごしました。利用したタクシー会社は中央交通でした。

次は、混んでますけど紅葉の時期に行きたいですね。

京都紅葉(2013年11月29日)

2013年11月29日に京都の紅葉を見に行ってきました。
時期としては遅めで散っているところが多かったです。
京都の紅葉の様子は京都新聞のホームページに掲載される情報を参考にしていますが、「見頃」と書いてあっても、「一部見頃」のすぐ後なのか「見頃」になってから数日たったのかでだいぶ違います。
今回行ったところはいずれも「見頃」なのですが、最盛期に比べるといまいちでした。
それでも何年かぶりに見た永観堂の紅葉は綺麗でした…

京都の紅葉スポットでお勧めな場所はいろいろあるのですが…その一つは宝筐院です。

いまいち写真では伝わりにくいのですが、紅葉の最盛期にここに来ると滅茶苦茶綺麗です。
植わっている木がほとんどモミジですので一面が真っ赤で真っ黄色で、うわーっとなります。
ちょっと嵯峨嵐山から遠くて、また嵐山と反対なのですが、紅葉の時期にいらっしゃいましたら、ぜひ宝筐院に行ってみて下さい。

醍醐寺の弁天堂もお勧めのスポットです。醍醐寺は桜も綺麗なのですが、紅葉の時期もじんぴしゃの時期に行くと弁天堂に近づいたところで、うわーっとなります。2013年11月29日の時点では最盛期は過ぎていて残念な感じでした。

最盛期は、ちょっと伝わりにくいのですが、同じ場所の2010年11月28日の写真が以下の通りです。

同じ日に別の角度から弁天堂を見た写真が下です。

醍醐寺に行ったらぜひ三宝院の庭園も見て下さい。
醍醐寺の最寄り駅は地下鉄東西線の醍醐駅です。醍醐駅から醍醐寺までバスが走っていますが、バスでいっても歩いていっても10分程度で着きますので歩いていけばいいかなと思います。バスを待っている間に着くなーと、バスに乗ったときに思いました。

いつだったかな「そうだ京都に行こう」の紅葉シリーズに毘沙門堂があって、一度は行ってみたいなと思っていました。
醍醐寺からの帰りに「そういえば山科を通るな…」と思ったので、山科で降りて毘沙門堂に行ってみました。
紅葉を見る!という目的からすると、駅から遠い(片道20分くらい)、山科には他に紅葉スポットがない、最盛期でもすげーって思うような気がしない、の三点からお勧めしません。

京都の紅葉狩りで鉄板なのは永観堂です。東福寺とともにガイドブックに必ず載っているのでわざわざ私が書く理由もないのですが、ひさしぶりに行ってみて鉄板なのを確認しました。
最盛期はすでに超えているのですが、それでも美しいです。
特にいちょうの黄色い葉っぱが落ちて真っ黄色になった地面にモミジの木があったりすると、一面が赤、黄色で美しいです。
モミジって散って地面に落ちると意外に綺麗じゃない…彩度が落ちた色になってしまうのですが、いちょうの落ち葉はそんなことなくて、いつまでも綺麗なのがいいです。
紅葉の時期は拝観料が1000円とお高いのですが、特にデートにお勧めです。マジでお勧めです。

永観堂からの帰りに南禅寺を通るので天授庵(南禅寺塔頭)にも入りました。
こちらはライトアップもするところで紅葉が最盛期ですと滅茶苦茶きれいなのですが、今回は散っていました…なので写真を撮っていません。
2010年11月28日に撮った写真を掲載します。予め中の様子を見てから入れればいいんですが、中の様子を見るには門の上にあがる必要があるかな…と思います。

紅葉の時期はいろいろなところでライトアップしています。
ライトアップでお勧めなのはベタですが、高台寺です。

私のカメラでは、夜間の場合、三脚を使って固定しないとちゃんと写せないので雰囲気だけしかお伝えできないのですが…
ライトアップの見所は、ライトアップされた紅葉が水に映ることだと思っています。
風がないと、本当に綺麗で、まるで底が無い湖の中に木が生えているように見えるんです。
一度は見てみて頂きたいです。
高台寺の場合、入ってからすぐに池がありまして、ここに映る紅葉が一番美しくて、ハイライトになります。この後は…ここに比べるとたいしたことない…と思っていますので、最初が勝負です。

高台寺と共にお勧めなのが、またこれもベタですが清水寺です。

ハイライトは清水寺の出口にある池のところの紅葉だと思います。
高台寺と同様、池に映った紅葉がとても綺麗で、池に吸い込まれそうな雰囲気を受けます。
清水寺と高台寺の欠点は京都駅に帰る場合、バスが滅茶苦茶混むということです。
電車の駅まで遠いので歩くのか電車の駅まで歩くのが早いのか悩むところで、バスは臨時がでるのでバスの方が早かったりもするのですが、いかんせん時間が読めません。

清水寺から(清水寺の最寄りのバス停は清水道です)京都駅に帰るのに、お勧めなのは208番バスに乗って大石橋で降りて京都駅まで歩くことです。
大石橋から5分程度、北に歩くと(京都タワーに向かって歩けばいいので迷うことはないかなと思います)京都駅です。

マサイ村について

ケニアにサファリを目的としてツアーに行くと、おそらくマサイ村に行く機会があるかと思います。

私は道祖神のケニア・サファリ・ハイライト 10日間のツアーでケニアにサファリをしに行きました。
ドライバー兼ガイドの方が「マサイ村に行くか」と 尋ねてきましたので行きました。
おそらくツアーの予定になくてもドライバーの方に「マサイ村に行くか」と尋ねられる気がします。
※他にもツアーの予定になくても、何個かオプション…を勧められると思います。マサイ村の他にはナイバシャ湖のボートサファリに行くかとも尋ねられています。

マサイ村は入場料が必要です。我々の場合は…我々と書いたのは、ケニアのサファリのツアーの場合8人乗りのサファリカーに最大で6人1パーティを組むからで、私が参加したツアーは5人のパーティだったから…です。
入場料は$30でした。

この記事を書いているときにちょいちょい調べたら、$10とか$20とか記載がありましたので、値切ればよかったと思います。当時、値切ることを考えていませんでした…

マサイ村についてはノーマークで何も調べていきませんでした。
マサイ村に行くのであれば心構えが必要であると思います。
以下に心構えを書きます。

  • 最後にお土産を売りつけられる…という表現がいいのか微妙ですが、売りつけられる感が強い売り方をされます。強い心で臨みましょう。
  • 最後に学校の建物がこんな感じだから寄付してくれと言われます。強い心で臨みましょう。

特に前者はマサイ村という孤立した空間で結構長い時間闘わなければいけないので、まあ…アフリカ時間で、のんびり話しながら、のらりくらりとかわして、もしいいなと思ったら、根気強く交渉する心が必要です。

ちなみに同じパーティの方はお土産がいらないやーと思って強くいらないと言っても最後に「案内料だ」と言われてお金を請求されたそうですので、なかなか厳しいです。

よくわからない露店でお土産ものの価格交渉するときには、1/10からスタートすることにしているのですが、マサイ村の場合、いやあそれ、どうみても$1でしょう…というものも$30という価格を言われるので、マサイ村で発生するお土産買わされるイベントは、納得のいく価格で何かを買ったり、そももそ買わないというのは難易度が高いです。

マサイ村におけるお土産を買わされるイベントの概要は以下の通りです。

  1. 村の見学が終わると強制的に場所がお土産売り場に移されイベントが発生
  2. お土産の売り場の数はマサイ村の規模により、1つの家族が1つの店舗を持つ
  3. 1人1人にマサイ村の人がついて、店舗を1つ1つ巡っていく
  4. 店舗で売られているものは、各店舗で代わり映えはしない
  5. 欲しいものがあればそれを案内役のマサイ村の人に渡す
  6. 最後に欲しいものすべてに対して価格交渉を行う

以上を…んー、30分くらいかな…もっとかな…な時間をかけて行います。

まあ…それでもテレビに出ていたマサイ村を見てみたいなあ…と思うのであれば、1回は見てもいいかなと思います。2回目は行く気がしませんが…


上の写真は村のみなさんが集まって、これから高くジャンプする儀式がはじまるところです。
この後、私はみなさんと一緒にジャンプすることになります…

上の写真の真ん中の方は確か呪術師の方です。医者だったかな…

どれが何に効くのか書き留めていないので何がどれだかさっぱり分かりませんが、薬系なものです。どれかが精力剤で、君にお勧めだと言われました。

火おこしの様子です。昔、ボーイスカウトで火おこししていましたが、プロ?の火おこしを見て「ああ、そうすれば簡単に火が付いたのか」と、相当感嘆しました。ボーイスカウトをやっていた頃の自分に教えてあげたいです。

上の写真はマサイの家です。
中は窓がないので昼でも相当くらいです。
この暗さを見てペットボトルで明かりをとったら相当いいんじゃないかなあと、そう思いました。

マサイ村については以下の文書がいいかなと思います。

アフリカに着いてサファリをする前にマサイ村を体験したのですが、おかげで「そうだ、アフリカはこうだった」と思い出して気を引き締めることができたのはよかったです。油断していました。