ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) ヨルダン編

2014年3月にヨルダンとイスラエルに行ってきました。

ヨルダンにはペトラ遺跡があります。
ペトラ遺跡はインディージョーンズ 最後の聖戦の映画のロケがあったところで子供の頃にそれなりに インディージョーンズが好きだった私はいつか行きたいなあと思っていました。
が、ヨルダンは見所がペトラ遺跡/死海/ワディラムの3つくらいしかない…と思う…ので、なかなか優先度があがらなかったのですが、世界の遺跡をだいたい見たことと、中東はいけるうちにいっておかないと、行けなくなる…実際エジプトだったりシリアだったりがいけなくなっています…ので、行こう!と思って行ってきました。

今までいろんな遺跡を見て来ましたが、ペトラ遺跡はよかったです。何がいいかというと遺跡までのシークと呼ばれる道が最高にいいと思います。シークがなかったら、ただの遺跡であまり面白くなかっただろうなあと正直、そう思います。

ヨルダン等の中東はドバイ等を経由していくのが標準なのかと思います。
今回はドーハを経由して行きました。

ドーハはカタールという国の都市で、カタールがどういう国か?というと 日本との関わりで見ると、天然ガスを輸入している国になります。

石油ガスで成り立っている国で、1人あたりのGDPが滅茶苦茶高く、国民の大半は公務員で、とても裕福だそうです。ドーハを案内してくれたのは、ネパール人の方だったり、工事現場で働いているのは外国から来る出稼ぎの方々です。

ドーハで訪れたのは、トランジットの際に利用できるツアーで、ドーハの悲劇のあったサッカースタジアム、ラクダ市場、空港会社が運営しているショッピングモールの3つです。

もともと砂漠しかなかったので建物はなく、現在ある立派な建物は全部オイルマネーで作られた最近のものです。
なので、見所があるかというと…遺跡大好き人間からするとまったくないのですが、オイルマネーすごい…なのを実感できます。

カタール国籍の方が住むには問題ないですが、外国人向けの何かは何もかも高いです。確か出稼ぎにきている方々も住居費用が高いので、うーん、どうなのかなあ…稼げるのかなあ…と思いました。

さて、ペトラ遺跡はナバタイ人が紀元前に作った街で、紀元前によくこんなもん作ったなあ…と思える遺跡です。いろいろEvernoteに記録したのですが、Evernoteはオフライン状態で記録して、オンラインに移ったときに同期が失敗して、それだけだったらローカルにデータが残っているからいいのですが、この問題を解決するにはVerをUpdateしてくださいとのことで、Updateしたらローカルのデータも壊れた、というなんとも悲しいことになり、記憶を辿って書きます。Evernoteはオンライン状態じゃないと使わない…と誓いました。

まず、以下の写真のような道をテクテク歩いて行きます。

ペトラの遺跡は入り口から遺跡にむかって下っていく感じになりますので、行きは結構楽です。帰りが上りになることと、ペトラ遺跡は遺跡の例に漏れず結構広いので、くまなく歩くと結構体力を消耗します。また、私が行ったのは3月でしたが、すでに結構暑かったので、夏は厳しかろう…と思います。

ペトラの遺跡のガイドブックとしては、地球の歩き方が鉄板だと思います。無茶苦茶詳しく書いてありますので、これ一冊で十分だと思います。

ここからシークに入っていきます。ペトラの遺跡はシークからエルハズネがハイライトだと思うので、いきなりハイライトです。テンションがとても高くなります。

シークは水の侵食により滑らかに削られた自然の地質断層(Wikipediaより)で、なんか、今、写真を見ると全然感動がないのですが、そしておそらく私の撮った写真をご覧になってもまったくそのすごさが伝わらないと思うのですが、もう、なんというか、どこをどう見ても、どう写真に撮っても絵になるという、なんかすごいところでした。

添乗員さんにツアーで一緒だった方が「どこが写真を撮るのにいいポイントですか」と尋ねていた答えが「いやあ、どこを撮っても絵になりますからねえ」と回答していたのが印象的でした。

ペトラの遺跡は治水技術がとても発達していてシークの脇には当時の水路が見られます。


この写真は確か水の中にある砂とかを落とす為に穴がだったと思います。ところどころにあります。


こちらはダムです。 当時のままということで、いやあ、よく残ってるなあ…という感じです。

高い治水技術を誇るローマ帝国は、新たな征服地ではまず水利設備を整えるのが習わしであった。ペトラは106年にローマ帝国に併合されたが、その水利システムは、すでに当時最高水準に達しており、ローマが手を加えるところなどほとんど残されていなった。
地球の歩き方より

ということで、すごかったんだろうなあ…と思います。


こちらがヨルダンのハイライトの一つであるペトラ遺跡のエル・ハズネです。
インディージョーンズ最後の聖戦で聖杯がある場所です。実際に聖杯があった…と思われる場所はここではなくて、また違う場所です。太陽があたる午前中の方が美しいそうです。
エル・ハズネの写真は、シークの隙間から見る…的なものが多いと思いますが、午前中にシークの隙間から写真をとると、エル・ハズネが明るすぎるので、シークの隙間から撮るんだったら午後なのかなーと思いました。
ペトラの遺跡は広いのと、来た道を帰ることになるので、帰りに写真を撮れば…OKです。

こちらが午前中に撮った写真。

こちらが午後に撮った写真です…、むむ、午前中の写真の方が綺麗に見えるかな…

ヨルダンのお土産の一つにサンドボトルというのがありまして、色のついた砂をうまいこといれて、模様が瓶の表面にでるようにするものです。作るところ見たのですが、職人芸でした…
砂をいれて模様を作って接着剤で固めて…を繰り返してできます。
頼むと自分の名前だったりをいれることができます。

ペトラの遺跡はエル・ハズネがハイライトだったりするので、ここを超えるとそれ以上の感動はあまりないのですが、遺跡が好きですと、いやあ、紀元前とか西暦100年代とかによくこんなの作ったよなーとか、当時はすごかったんだろあうなあ…とか思います。遺跡って風化したり、地震で壊れたり、洪水にあったり、火災にあったり、戦争があったりでボロボロになっているので想像力が必要かなと思っています。最近は想像力がなくてもCGで再現して見せてくれるのもあったりして、そういうのがあると好きです。

上の写真は円形劇場です。ローマの支配を受けた都市には必ずあるので、今までいっぱい劇場を見てきました。円形劇場があると、ああ、ローマの遺跡だなーとか思います。確か円形劇場の大きさで当時の人口が推測できるらしいので重要だ!的な何かを読んだ記憶があります。

観光地として整備される前は、穴がいっぱいあいていて住みやすいので、ベドウィンが住んでいたそうです。そのベドウィンにどいてもらって、で、そのベドウィンがどうなったか?というと、遺跡の近くに建設された上の写真の街に住んでいるそうです。そしてペトラの遺跡で働いてます。

建物の上の方に階段っぽい彫刻?があります。確か意味はわかっていないけど、おそらく神様に近くいくために階段を彫ったんじゃないか?と聞きました。

上の写真は街のメインストリートだったところの写真です。

こちらはビザンチン時代の浴場跡です。日本人はなんでそんなに風呂が好きなんだと、外国の方からすると疑問だ、と聞いたことがありますが、遺跡に行くと結構、風呂、あります。なんで、現代はシャワーの文化なのかな…と思ったらWikipediaによると、なるほど…という感じでした。

ペトラの遺跡の一番奥にエド・ディルがあります。だいぶ奥で、階段を結構歩いて登っていきます。

こちらがエド・ディルです。頑張れば…ちょっと入り口が高いので頑張らないと入れないのですが、入れます。入っても何もないですが…
シークを通ってエル・ハズネを見ると「おおー、すげー」と思うのですが、あちらを見た後だとあまり感動しないです。過程は重要だなーと思います。

後ろの山に登ることができまして、登る途中に休憩所だったかな…頂上はこちら…だったかな…の看板を無視してのぼっていくと、上からエド・ディルを見ることができます。
ちなみに、写真には写っていないですが、エド・ディルの正面には小さい店があるので、飲み物を飲みながら、エド・ディルを見られます。

ぬこです。健康状態良好そうです。

帰り道に街全体を見られるところから。
結構広いのですが、遺跡が点在している訳では無いので、1日あれば、入り口から奥まで行って帰ってこられます。

今までいろんな遺跡を見てきましたが、ペトラの遺跡は満足度が高いと思います。遺跡がお好きでしたらぜひぜひ行って頂きたいかなと思いますが…ヨルダンは有名所が、ペトラ遺跡と死海とワディラムしかなくて、他の地域に比べるとせっかくここまで来たからいろいろ見る的なのが難点かなと思います。地球の歩き方も題名が「ヨルダン」ではなくて「ペトラ遺跡とヨルダン」となっていますので…

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