山梨県のワイナリー巡り(主に見学が充実しているところ)

ぶどうの丘

ワイン売り場に行くと、たくさんのワインがあって何が自分の口に合うのか分かりません。
自分の口にあうワインを選ぶ一番良い方法は試飲出来る場所にいって片っ端から試飲してみることかなと思います。

ワインと言えば山梨県で、山梨県でいろいろなワインを試飲出来る場所が甲州市勝沼 ぶどうの丘です。

1100円で約200銘柄のワインを試飲できる地下ワインカーブがあります。
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樽の上に試飲できるワインがあるので、以下の写真の銀色のお椀に注いで飲みます。
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ワインには以下の情報が書いてあります。

  • 白かロゼか赤か
  • 甘口~辛口
  • ぶどうの種類
  • 赤ワインの場合、ライトボディ~ミデアムボディ~フルボディ
  • ワイナリーの名前

比較する場合の基本は比較する要素以外を固定する…です。
例えば、ぶどうの種類、ワイナリーを固定して白ワインの甘口から辛口まで飲んでみたり、ワイナリーを固定して赤ワインのライトボディからフルボディまで飲んでみたり(ぶどうの種類でどのボディかが決まる…そうなので、ぶどうの種類は固定できないです。でも、同じぶどうの種類でもライトボディとミディアムボディがあったりするので、そこはワイナリー次第なのかな…と思います。)するのがいいかなと思います。

お酒に弱い方でも…私もお酒はあまり飲めないのですが…ちょこっとずつ試飲できるので、だいぶ楽しいと思います。マスカットベリーAだと、このワイナリーの赤がいいなーとか。

気に入ったワインは棚から持っていって買うこともできます。

シャトー・メルシャン

シャトー・メルシャンはガイド付きでワイナリーの見学が出来ます。
ワイナリーに行く場合は試飲したいと思いますので、飲めないお友達ドライバーさんを見つけるかタクシーを使うことになるかと思います。
ワイナリーによっては駅からだいぶ遠く…シャトー・メルシャンはタクシーで1500円くらいの距離だったと思います。歩くと45分くらいです。私は…行きはタクシーで、帰りは歩いて行きました。果物の畑が一面に広がっているので、私にとっては見慣れない風景ゆえにそれなりに楽しいのですが、歩いている人は私くらいでしたので農園で働いている方から不思議な目で見られました。まあ…そうですよね…

私はスペシャルコースに参加いたしました。
いくつかワイナリーのガイド付きツアーに参加いたしましたが、こちらはテイスティングをしてからブドウ園、樽が置いてあるところの見学でした。
説明して頂いた方はソムリエの方で、参加した中ではこの方のご説明が一番よどみなく、参加者の方々の質問に的確に回答していました。
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ぶどうの丘で試飲するのも楽しいのですが、一度はどちらかのワイナリーにいってテイスティングしてぶどうの製造工程を見学すると、ワインおいしいなー、だけでなくて、、このブドウを使った他のワイナリーのワインはどうかなー、とか、この味とこの色は樽を使っているからかー、自分は樽熟成のワインが好きなんだなーとか、自分の舌にあったワインを選びやすくなったり、ワインの味って日本語で表現するボキャブラリーがなかったのですが、そんな機会はそうそうないですがレストランで「こんなワインが飲みたいです」というときに表現できる日本語が増えていいかなあと思います。

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もう収穫は終わっていた時期なのですが、あえて残しておいてあったブドウです。
食べてみてください、ということで食べさせてもらいました。

ワイン用のぶどうは、食用のぶどうよりも甘い…というのは、甘い部分が発酵してアルコールになるので甘く作る必要があります。白の甘口のワインは発酵を途中で止めるので、甘いけどアルコール度数が低くて、白の辛口のワインは完全に発酵させるので一切甘くなくてアルコール度数が高いです。

食べさせてもらったぶどうはそんなに甘くないな…と思いましたが、ちゃんとした収穫時期のぶどうは甘いのかなあと思います。

マンズワイン勝沼工場


マンズワインは予約なしでガイドツアーに参加できます。
私が参加したのは平日の午前中だったためかまさかの1人でした…
30分おきにツアーが開始されるので適当にいってツアーに参加することできます。
説明して頂いた方は一通りの説明はして頂けるのですが、質問に対して的確な回答ではなかったので、的確な説明が欲しい場合は、シャトーメルシャンの方がいいかなと思います。
試飲は私が行った他のワイナリーと違って、高いシリーズ(ソラリスシリーズ)以外は無料ですので、適当な時間に行って説明を聞いて試飲もお金をかけずにしたいという場合は、マンズワインはいい選択肢になるかと思います。
私は甘いワインが好きで、ポリフェノールが取れた方がいい気がする…というのことでおつらく邪道だと思うのですが、甘い赤ワインをいろいろ飲んでみた結果、マンズワインのルージュ・ルージュ・ルージュを好んで飲んでおります。

登美の丘ワイナリー

サントリーのワイナリーです。大企業だけあってか、工場見学に力を入れているからか、非常にお客様対応が素晴らしく、ワイナリーに行く途中に案内する方がいらっしゃったり、専用の受付があったり、すごいです。
他のワイナリーはタクシー等の移動手段しかないですが、登美の丘ワイナリーは土日祝は甲府駅からバスが出ていて素晴らしいです。

他のワイナリーの見学では見本ぶどう園の見学になりますが、登美の丘ワイナリーはなんとバスで移動して、丘に広がる実際にワイン用のぶどうを作っている畑を見学し、またバスで移動してワインセラーを見学する…という昔からここでワイン作ってたんだなあーすごいなーと思えます。

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一本の木から10房、瓶に換算して1.5本作れるそうです。

説明してくださった方はすごく丁寧でした。丁寧すぎるので、好みで言えばシャトーメルシャンの方のフランクな説明の方が好きです。お客さんからの説明には的確に答えていました。

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こちらはワインを寝かせているところです。試しに長年寝かせてみてどのような味になるかを試すそうです。ワインは他のお酒と違って瓶につめた後もいい意味で変化していくそうです。なんで変化していくのかは未だに分からないそうです。

悲しいことになくしてしまったので、テイスティングの時に頂いたワインリストの紙を写真でお見せできないのですが、その紙の後ろに「ワインの香りや味はこんな風に表現します」という説明書きがありまして、これ、いいなー…と思いました。なくしたのが悲しいです…

登美の丘ワイナリーでは貴腐ワインを作っていて2000円で試飲することが出来ます。甘いものが好きな方にはぜひ試してみて頂きたいです。おいしいです。でも日本における作成条件が厳しくて、今年は出来なかったとおっしゃっておりました。

甲府方面で観光してワイナリー見学したいなーということでしたら、登美の丘ワイナリーはお勧めかと思います。ワイナリーからの景色は素晴らしいですし、ブドウがなっている時期だったら、それはすごいんじゃないかなー…と思います。
説明の深さでは、シャトーメルシャンの方がいいかなと思います。

グランポレール勝沼ワイナリー

グランポレール勝沼ワイナリーはサッポロのワイナリーです。

駅から遠いのでこちらのタクシーでの移動になります。山梨市の駅から1000円程度の距離です。見学の申し込みがインターネットからではなく電話をする必要があるのがちょっと面倒です。
説明して頂けるのは実際にワイナリーでワインを作成されている方で、雰囲気が「あ、工場の方だなー」という感じでした。説明の手際は良いわけではないのですが、実際に作っているので非常に的確な説明と質問に対する回答でした。特にブドウを絞る機械等の説明が興味深かったです。ワイン自体の説明ならシャトーメルシャンの方(ソムリエの方)、ワインの製造工程についてはグランポレール勝沼ワイナリーの方(おそらく所長さんだったのではないかと…)がよかったです。

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樽は一個、今年は13万円くらい、フレンチオークなのでユーロ建てだそうです。
とか、飲み屋で使える知識が身につきます。

グランポレール勝沼ワイナリーも貴腐ワインを製造しており1000円だったかな…で試飲できますので、甘いものが好きな方はぜひ試飲されるといいかなと思います。
ツアーに参加された方々は、グループで1つ試飲している感じでした。せっかくですから…

ご説明を頂いた方がテイスティングの際に「どのワインがおいしかったか2つ手をあげてもらえますか」と言って、結果、だいたいまんべんなく手があがったのですが、「満遍なく手があがるとうれしいです、やっぱりいろんなワインがあって好みに応じて飲むのがいいですから、その中にサッポロのワインの比率が少し高かったらいいなと思います」とおっしゃっていて、あー、そうかー…と思いました。

まとめ

私は1日に1つだけワイナリーを巡って、またどこかに行くという行程でしたが、タクシーの運転手さん曰く、普通4,5カ所回りますね、とのことで、ワインが好きな人はそのくらい巡るんだなあ…と思うと共にそんだけ飲めたら楽しいだろうなあ…と思います。

好きなワインを求めてボトルで買っていると、口に合わないワインだった場合に悲しいので、首都圏に住んでいらっしゃるのであれば、一度、ワイナリー等に行ってみて、いろいろな種類のワインを試飲してみるのがいいかなあと思います。

甲府方面にお出かけのついでに行くなら、登美の丘ワイナリー
無料で試飲したいなーということでしたら、マンズワイン勝沼ワイナリー
特にワイン自体の詳しい説明が欲しい場合は、シャトーメルシャン
特にワインの製造工程の詳しい説明が欲しい場合は、グランポレール勝沼ワイナリー
かなと思います

ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) エルサレム(嘆きの壁と神殿の丘)

嘆きの壁はトンネルツアーがあります。
嘆きの壁はユダヤ教の神殿の壁のことです。ユダヤ教の方々は本当はユダヤ教の神殿の場所でお祈りをしたいのですが、その場所は現在岩のドームがある場所で、ユダヤ教の方は入れません。ユダヤ教の方々が一番神殿に近づける場所が嘆きの壁です。

嘆き壁というと…

の場所ですが、トンネルをくぐっていくと、上の写真の場所よりもユダヤ教の神殿に更に近い壁にたどり着くことができます。トンネルツアーでは、上の写真よりも神殿により近い壁を見ることができます。

トンネルツアーの場所には、そもそもこの場所がどういう歴史で今のような形になっているのかを説明する模型と動画があります。

昔々、ユダヤ教の方々がこの地を平坦にして神殿を建てました。

そこにイスラム教の方々がやってきて、神殿を破壊し、岩のドームを建てました。
というようなことが模型で分かります。

また動画もあります。

トンネルの内部は写真のとおりです。

下の写真が…確か神殿の壁です。
ガイドさん曰く、「特に日本の方は技術は新しい時代の方が優れているとおもっている方が多いがそんなことはないです。実際、この壁の石はとても大きくてとても綺麗に加工されていますが、その後の時代の壁においてはこのような大きさの石を加工したものはないです。今でもどうやって当時この大きさの石をここまで運んできたのか分かりません」。
確かに遺跡ってロストテクノロジーが多いよなあ…と思います。

ここからは神殿の丘に行きました。神殿の丘に入場するのはかなり難易度が高いです。
セキュリティが厳しいことと時間が限られていることの2つがその原因です。
神殿の丘はイスラムの聖地でモスクであるためお祈りしている時間は入れません。イスラム教は1日に5回のお祈りの時間があるので、入れる時間は朝のお祈りからその次の午後のお祈りの時間までに限られます。

イスラム教のお祈りの時間帯は以下の通りです。

ファジャル(Fajar)・・・・・明けがたから日の出まで
ゾフゥル(Zohar)・・・・・正午から昼すぎまで
アッサル(Asar)・・・・・昼すぎから日没まで
マグリブ(Maghrib)・・・・・日没直後
イシャ(Isha)・・・・・就寝前

礼拝 – 日本アハマディアムスリム協会・ナレッジサイトより

時間帯が午前中に限られているだけでだいぶ大変なのですが、さらにセキュリティの厳しさが大変です。すごい厳密にチェックされるので、1人1人にかける時間が長いです。正午までに入れなかった場合はどんなことがあっても入れません。何人まで入れる…というのではなく、時間内に入れた人だけが入れる…という感じです。

これはガイドさんが言っていたのですが、リュックやカバンを持って入ろうとすると、検査が厳しくなって、1日に入れる人数が少なくなります。なるべく手ぶらで、というか、神殿の丘には、みんなが手ぶらで行くことが、より多くの方々が入れる方法だそうです。

地球の歩き方等の書籍を持って入ることは出来ないそうです、というのは、その書籍が聖書だと思われるからだそうです。神殿の丘にはキリスト教徒、ユダヤ教徒は入れません。キリスト教徒やユダヤ教徒に間違えられるようなことはしてはいけない…ということです。

無事にセキュリティを通過して、木製の橋を渡りまして

神殿の丘に入りました。よかった…
エルサレムの街の喧騒とはうってかわって、とても人口密度が低いです。
ところどころでムスリムの方々が勉強会をしています。
昔はみんなこの丘で昼寝しているとかだったそうですが、昨今、イスラム社会へのあたりが強いので、なんとか自分たちを理解して貰おうと、まずは自分たちのことから勉強する…という感じになっているそうです。
確かに私が「中東に行ってきます」というと、大丈夫なのか?と言われます。大丈夫じゃない場所もありますが、大丈夫な場所しか行かないのですが…

岩のドーム、ムハンマドが昇天した場所です。昔からこんなにすごい建物だったわけではなく、この地を支配したイスラム教の国家が、とても神聖な場所ですので、装飾を施していった結果だそうです。現在の金メッキは1964年にヨルダン国王が寄進したものです。

神殿の丘はすごくデリケートの場所で、治安上の理由で2014年10月30日に閉鎖されました
イスラエルとパレスチナ人は血みどろの戦いを繰り広げており、問題の根が深すぎて、10年や20年でもどうしようもないんだろうなあ…と思います。子供達の世代、孫達の世代で解決できているでしょうか…

P1000311P1000333P1000335嘆きの壁、ユダヤ人の祈りの場所です。入るには保安検査場を通過する必要がありますが、岩のドームほど厳密な検査ではないのですぐに入ることが出来ます。ユダヤ教は男性と女性は別々の場所でお祈りすることになってます。左側が男性、右側が女性です。

本来はここではなく岩のドームのある場所…ユダヤ教の神殿のあった場所でお祈りしたいのですが、今、そこには岩のドームがあり、岩のドーム周辺にはユダヤ教徒は入れないので、神殿に近いこの場所がユダヤ教徒の祈りの場所になっています。

その昔はここにすら入れなかったので、ユダヤ教徒の祈りの場所はヘロデ王のお墓…でした。

ちなみに、私の世代の男性は聖闘士星矢のマンガをリアルタイムで読んでいた方も多くいらっしゃると思われ、聖闘士星矢で嘆き壁と言えば、黄金聖闘士が12人揃って太陽の光を作り出して穴を開けたものでして、何かこう、感慨深いものがありました。

かみのやま温泉

かみのやま温泉に行ってきました。 

きっかけは最近行った温泉の話になり、かのみやま温泉がよかったという話を聞いて、では行ってみるかと思ったから…でした。

2月に行くとすぐ近くの蔵王で樹氷が見られることと、駅からとても近い…かみのやま温泉駅で降りて徒歩でも10分くらい、車だとあっという間に着くのがいいかなと思います。

何かすごいおいしいものがあるとか、温泉街の雰囲気が良いとか、そういうのはないです。特に後者の温泉街に関してはまったく期待してはいけないと思います。とっても静かな感じですので温泉にどっぷり浸かる…というところではいいかなあと思います。

かみのやま温泉の歴史は…以下の写真の通りです。
鶴が湯治?をしているのを見つけたお坊さんが「ここに温泉が!」と温泉を発見したのが始まりだそうです。

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そういう歴史もありまして、街の何カ所に足湯があるのですが…おそらく寒すぎるので誰も足湯に浸かっていなかったのですが…鶴の像があったりします。

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街の観光スポットは2つです。
一つは武家屋敷、もう一つは上山城です。

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武家屋敷はいくつかありますが、ちゃんと説明つきで観光できるようになっているのは1つ、集会所みたいになっているのが1つです。上の写真は集会所みたいになっている方の武家屋敷です。

入場料が必要ですが、ちゃんと見られる武家屋敷は以下の写真の武家屋敷です。

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ところどころに、ここが仏間ですよとか、ここが武者隠しですよとかの札があったり

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武家屋敷についてとか、武家屋敷の曲がり作りについてとか、へー、そうなんだー、と思う解説があります。

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武家屋敷って、社宅というか、公務員宿舎なんだなあ…思いました。

もう一つの観光地が上山城でして、中は写真撮影が禁止なので、外観だけになります。
写真撮影してもらって宣伝してもらった方がいいんじゃなかろうか…と思います。確か、上山城は町の歴史をメインに説明していて、地元の人でないとだいぶ退屈な内容だったりするので、全然記憶に残っていない…のが正直なところです。

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上山城の一番上からの景色は、街が一望できてとてもいいと思います。
春になると桜がとても綺麗だそうで、多くの人が来る…と地元の小学生かな…の上山城見学感想に書いてありました。

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宿泊したのは有馬館です。

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ひさしぶりに山形の芋煮を食べました。芋煮、うまいです。

露天風呂は以下の写真な感じでした。冬だと寒いので、私は耐えられないのでささっと中の風呂にいっちゃいますが、いい季節で昼だといいなー思います。

 

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この他にも、岩盤浴的な設備だったり、いくつかお風呂があります。

  • 駅から近い温泉がいい
  • 観光はしなくていいかな
  • いろいろなお風呂に入りたいな

な温泉を探していたら、かみのやま温泉でもいいかなーと思います。東京からだと遠いんですが、新幹線の駅から降りたらすぐなので、そこはいいかなー思います。

清水寺成就院庭園

日本にはたくさんお庭がありますが、清水寺成就院庭園は私が最も好きな庭です。
写真を撮っちゃいけない庭なのが残念なのですが…

成就院の庭の説明はこちらです。
庭の趣向?のテクニックの一つに借景という技法があります。
庭の向こうにある山とか林をあたかも庭の一部分に見えるようにして、庭を広く見せる技術なのですが、 成就院の庭ほど借景だなーというのが分かりやすい庭はないんじゃなかろうかと思います。
いつ見ても「あー、借景だー」と思います。

昼と夜で拝観の仕方が違っていて、昼は人が少ないので適当にいつまでも見られます。個人的には昼間の方がオススメです。

夜は人が多いので、順番に並んで50人ほどの単位で説明を聞いて、入れ替わるという感じです。でもこの庭は月の庭で本来は夜楽しむものであることと、借景をすごくよく体感できるのは夜なので、最初は夜に見るのをオススメします。

説明も面白かったのですが、最近は18禁コードに触れることはいっちゃいけなくなったのでしょうか…烏帽子石は陰茎で~とか説明してくれなくなりました。子供を授かれるようなめでたいものを配置した庭なので、その説明が無いと何かこう…ちょっと足りないなーと思うのです。

成就院の位置はこちらです。
清水寺を拝観しようとするルートの脇道にそれると成就院があります。

いつも開いているわけではなく、 桜の時期と紅葉の時期にだけあいています。
スケジュールはこちらに記載されます。

ちなみに、成就院の前の池の夜の紅葉は素晴らしいです。


私の中で 池に映る紅葉ベスト3に入る…と思います。
ちなみにベスト1は高台寺です。

清水三年坂美術館

私が京都に行くのは大抵、桜の時期か紅葉の時期なので、どうしてもより多くの桜と紅葉を見たいと思って、桜と紅葉以外はスルーするのですが、だいぶ前にKIRIN~美の巨人たち~で放映していた安藤緑山の彫刻が見たかったので、清水寺成就院を見に行くついでに寄ってきました。

最初に見て頂きたいのは、googleの安藤緑山の画像検索結果です。
これ、全部象牙で出来てます。
本物にしか見えません。

KIRIN~美の巨人たち~の解説で確か「誰もがその彫刻を見るとあまりのすごさに笑ってしまう」的なことを言っていました。
実際に実物を見て、確かに、すごいのです…

どうやって作ったのかは謎でロストテクノロジー…と思っていたら、Wikipediaに

その技巧は長らく謎とされていたが、X線透視検査によって1本の象牙に丸彫するのが基本とされた牙彫において、複数の牙材をネジなどで接合することで大作の牙彫を実現していることが明らかとなった。また蛍光X線分析によると、有機系着色料ではなく金属を主成分とした無機系着色料が主に用いられた可能性が高いという。更に顕微鏡による細部観察によって、彫りの段階で細部まで完成させてから着色しており、場合によっては着色後に部分的に彫りや削りを施すことで、素地の白色を露出させる技法を用いているのが見て取れる。

とありました。すごい作り方分かったんだ…でも実際には作れないんだろうなあ…

安藤緑山についてはNAVERまとめに「【超絶技巧】謎の牙彫師・安藤緑山の超リアルな彫刻が凄すぎる」がありますので、こちらがいいかなと思います。

清水三年坂美術館には、この他にも蒔絵、七宝、金工、京薩摩という作るのに技術も手間がかかりすぎます…という逸品がありますので、一度は見てみてもいいかなと思います。

印象に残ったのは、清水三年坂美術館に展示されているものは、若いうち…十代の頃から鍛錬する必要があって、それは十代の頃でないと技術をマスターできないそうなのですが…つまり、今の日本ではもうこれらの逸品を作ることが出来ないわけで、日本どころかもはや人類には作ることが出来ないわけで、なんというか、はかないなあ…と思いました。

マールブランシュ

京都の北山に本店があるマールブランシュは私の好きなお菓子屋さんの1つです。

京都に行ったら、女性向けのお土産は茶の菓を買っておけば問題ないと思っています。
うまいので、もちろん自分用にも買います…

マールブランシュはサロン…イートインできる場所が三カ所ありまして、それぞれの場所でしか食べられないお菓子があります。

北山本店のイートインでは、ミルフィーユが食べられます。
私が食べてきたのは確か季節限定もので、洋梨のミルフィーユです。

私、洋梨はあまり好きではないのですが、カラメリゼした洋梨なのかな、コンポートかな…は無茶苦茶美味しくて、下の部分はチョコがベースの堅めのムースだと思いますが、私チョコが好きので、これも美味しくて、大満足でした…

京都に二泊三日に旅行に行きまして、二日目に行ったのですが、どうしてももう一回食べたくて、三日目にも行って食べました…やっぱり美味しかったです…

1回目、おいしかったと思ったものでも、2回目食べると、あれ?こんなもんだっけ?と思うことはよくあることですが、洋梨のミルフィーユは美味しかったです…また食べたい…

私が行ったのは1回目が平日の17時、2回目が平日の13時45分でした。
どちらも待ちなしでしたが、14時くらいから待ちが発生していました。遅い時間ですち待ちが発生しませんが、ケーキが売り切れてしまってお目当てのケーキがないと思います。13時45分の時点ですと、ほぼ全部のケーキがありましたが、15時くらいにはだいぶ売り切れが発生していました。

待ちが発生しても、隣の建物に待つためのスペースがあったり、携帯電話で呼んでくれます。が、やっぱり待ちが発生すると席数が少ないので待ち時間は長いので旅行のついでに行く場合はマールブランシュだけに2時間を確保しておかないと駄目かな…と思います。

次は京都伊勢丹のサロンでパンケーキかパフェだなあ…

ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) エルサレムとベツレヘム編

私はユダヤ教徒でもなく、キリスト教徒でもなく、イスラム教徒でもないのですが、三大宗教の聖地のあるイスラエルのエルサレムは「おおー」と思うところでした。

日本にいると「中東は怖い」というイメージがあって、確かに2014年9月現在、だいぶ情勢が悪いのですが、宗教に興味がある方々にとっては外せない場所なので、ぜひ訪れてみて頂きたいです。

ヨルダンからアレンビー橋を通ってイスラエルに入国してエルサレムに向かいます。
この日は金曜日で ユダヤ教は金曜日の日没から安息日に入るから…だったかな…なので、15時で業務終了です。
セキュリティがすごく厳しくて手続きも何やら複雑で英語が達者でないと通過するのがすごく大変だと思います。私は通過する自信がないです…
添乗員さん曰く、やり方がころころかわるので行ってみないと分からないそうで、何度か通っているけど何か違うことがあるそうです。

アレンビー橋は正式な国境ではなくて、イスラエル側にいるパレスチナ人が何か手続きが必要でヨルダンのアンマンに行く為の場所と聞きました。 ただ観光客はこの場所を通過してヨルダンからイスラエルに入国することができます。

だいぶ時間がかかって、抜けるのに3時間かかったと記憶しています。それでも「いやー、今回は早かったなー」と添乗員さんとイスラエル側のガイドさんがおっしゃっていました。なんでしょう、中東に行くと「まあ、そういう時間感覚でもしょうがないなー」という気にはなるのですが、国境だと何か緊張して時間がたつのがとても長く感じるというか、そんな感じです。

さて、ここから、死海文書が発見されたクムランに向かいましたが、安息日に入るので博物館等はすでにしまっています…しょうがない。

より大きな地図で クムラン を表示

それでも観光客がいっぱい。

なんの変哲もない風景ですが、ここが死海文書が発見された洞窟群です。死海文書の何がすごかったかというと、死海文書が見つかる前の聖書は結構新しい時代に書かれたのですが、死海文書は紀元一世紀頃に紀元前二世紀頃からのことが書かれたものということで、キリストが活動していた頃のユダヤ教の聖書が見つかったこと…文書は時代とともに後生の人がいろいろ書き換えていきますし、ユダヤ教も他の宗教と同様に宗派がいろいろあるので、聖書の解釈の仕方が違ったりするのですが、そもそも昔はどうだったのか?ということが分かるものが見つかったということです。

また、この場所は、「聖杯」があった場所ではないかとも言われていて、ジョーンズ博士が聖杯を求めて来たのは、ここらへんだったはず、とのことでした。そういや、ジョーンズ博士が戦車と競り合っていたのは、こんな砂漠だった気がします…

ここからエルサレムに向かいました。
エルサレムは地区がいくつか分かれていて、最初に観光したのはオリーブ山でした。
地図だと分からないのですが、オリーブ山は「山」なので、高低差があります。
可能であれば、昇天教会/主の祈りの教会あたりまでタクシーかアラブバス…があるかな…であがって、そこから下っていくのがいいです。と、ガイドさんが言っていました。
確かにだいぶきつい勾配です。

最初は主の祈りの教会、イエスが弟子に請われて主に祈りを教えたと言われる教会です。キリストにまつわる教会建物はとても簡素に作られています。キリストが活動していた当時の状況を想像できるようになるべく簡素にするのがポリシーと聞きました。

主の祈りの教会は世界の言語で主の祈りの言葉が書いてあります。見るととても短いです。ユダヤ教の祈りの言葉はすごく長いですが、キリスト教はとても短いです。また、ユダヤ教の聖書はヘブライ語で、ヘブライ語でお祈りするのですが、キリスト教は各種言語でお祈りしてOKと、ユダヤ教よりもハードルが低いのが広まった理由の1つ…と聞いた気がします。
シンプルな方が受けいられやすい…とのは、その通りだと思いました。

日本語もありますが、現代の日本語とちょっと違います。何回か表現を書き換えているそうです。言語は生き物だなあ…と思います。

逆光な神殿の丘方面です。

オリーブ山なのでオリーブがいっぱい。

ユダヤ人墓地。最後の審判の日にここで死者がよみがえると伝えられているので、ここにお墓があります。

谷の底から金のドーム方面を見上げるとこんな感じで、神殿の壁に門があります。

この門は、黄金門と言われて、救世主がここからエルサレムに入ってくると言われています。
黄金門の説明については、ブロックされた黄金門、とムスリム墓地 : こらぼ さらくだと 黄金門 – 悠久の聖地 エルサレムがいいかなと思いました。

主の泣かれた教会。イエスはオリーブ山からの帰途、エルサレムを眺め、その滅亡を予言し涙したと言われる…ので、教会からはエルサレムの方を見られるように窓が大きく開いています。

万国民の教会、ゲッセマネの園にある教会で、いろんな国からの献金で建てられたので万国民の教会です。こちらの文書が説明としてはいいかなと思いました。別名を苦悶の教会といいます。イエスが処刑前夜の最後の夜を苦しみながら神に祈った場所です。

こちらがゲッセマネの園の様子です。

キリストはその思想…でいいのかな、を伝える為に神殿の丘の周辺の教会で、自分の考えを話すのですが、下手なことを話すとしょっぴかれてしまうので、非常に曖昧にぼやっとした感じでしゃべったそうです。それを聞いた弟子も意味が分からなくて、帰り道…帰り道がこのゲッセマネの園だったりオリーブ山だったりしたそうですが、ここで弟子さんたちが「さっき言ったことはどういうことだったのですか?」と聞いて、それはこういう意味だ…と弟子たちに教えを説いたのが、ここらへんだそうです。2000年前の出来事の場所が、今もこうやって残っているのはなんか、こう、すごいなあと思います。

ここからは、ヴィア・ドロローサです。
イエスが死刑の判決を受けて十字架を背負わされて磔の刑にされるまでの道です。イエスがたどったこの道を追体験するために多くの巡礼者がいます。実際に大きい十字架を背負って祈りながら歩く方もいます。私、オタクですが、まさにリアル聖地巡礼で、なんというか、キリスト教との方々が、イエスの気持ちになって、この道を歩くと感無量なんだろうなあ…と想像します。

エルサレムはいろいろな国?民族?が入れ替わり立ち替わり来た歴史があります。
下の写真は、ここに門があったっぽい後が見られます。

ここがヴィア・ドロローサの第2留…だと思います。鞭打ちの教会です。ここでイエスは十字架を背負わされます。

とことことイエスが辿った道を歩いて行きます。

第3留、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまづいた所です。
ポイント…と言えばいいのでしょうか、ポイントごとに祈祷所があり、キリスト教徒の方々は祈祷所で祈祷しながら歩いて行きます。

キリストの教徒の聖地であるとと共に、ここは繁華街ですのでもちろん生活している人もいっぱいいます。我々のようなキリスト教徒ではない観光客もいっぱいいまして、だいぶ混んでいて歩くのが大変です。

こんな感じで人がいっぱいです。現地のガイドさん曰く、これでも空いてるそうで、混んでて歩けない場合は…このときはすべてのポイントを回りましたが、ポイントをすっ飛ばさざるを得ないと言っていました。

第8留、イエスがエルサレムの娘たちに「私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい」と語った場所と言われている場所です。なんで指をいれているのか忘れました…

第9留、イエスが3度倒れた所です。ここは人が少なかったです。繁華街の通りから外れるからだと思います。

ここ以降は、ゴルゴタの丘の上に立てられた聖墳墓教会の内部になります。聖墳墓教会は当たり前ですが人が多くてかつ複雑な構造になっているので迷います。キリスト教にも、いろいろな宗派があって、それぞれの宗派がこの教会の中に配置されています。

イエスの墓です。

中に入ってお祈りできるのですが、人多いです。ガイドさん曰く、ツアーの限られた時間の中で入れたことはない…と言っていた気がするので、個人でいって時間が目一杯無い無理かなと思います。キリスト教徒の方でしたら、一度は行きたいのかなと思います。

以下、教会の中の様子です。

最後の写真は、イエスが息を引き取って香油を塗られた場所です。
友達にキリスト教系の学校の方がいるのですが、聖書の世界がここにある…ので、なんとかお金と時間を工面して来てみて頂きたい…と思いました。聖書をある程度しか知らない私でも「あー、ここかー」とおもうところがあります。

ここはシオンの丘にある最後の晩餐を行ったと言われる場所です。だいぶ殺風景だったりします。そして、写真はない…というか取れないので写真がないのですが、この下にダビデ王の墓、ユダヤ教の方々にとって大事な場所があります。今でこそユダヤ人が嘆きの壁に近づくことができるようになりましたが、嘆きの壁に近づくことを許されなかった時代は、ダビデ王の墓がユダヤ人の方々の祈祷の場所だったそうです。

ダビデ王の墓を見る為には、男性の場合、帽子を被る必要があります。帽子は、ユダヤ教の何かがある場所には必ずおいてあるので、何か用意する必要は無いです。帽子はキッパーと言います。その意味は「神に対して頭を隠すことで、神に対しての謙遜の意思を表す」ということです。ガイドさんには、神と私たちが同じ位置にいるのはよろしくないので境界として帽子を被る…と説明を受けた気がします。

シオンの丘からの風景です。

 

こちらは鶏鳴教会です。とても有名な話の場面に建てられた教会です。
「ペテロ、お前は、鶏が鳴く前に、イエスを知らないと三度言う」とイエスがペテロに言って、いやいや、イエス様、私がそんなことを言うはずはないですと思っていたら、ゲッセマネでイエスが逮捕されてました。そして…

ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

というわけで、イエスの言った通りになってしまいました。
で、 そんなペテロを非難してこの教会が建てられたわけではなくて、人間の弱さ、人間は弱い者であるということと、そしてペテロはその後、キリストの教えを広める為にとても精力的に活動して、イエスよりえげつない方法で殺される…逆さ十字架にかけられたということになっていますが、ちゃんと反省して頑張ったぞ、というのを私たちが認識するために建てられてます。
ペテロが殉教した場所はサン・ピエトロ寺院が建てられて、ペテロの偉大さが分かります…

鶏鳴教会の横には、キリストが歩いたと言われる石段があります。今は保存のために歩けないですが、昔は歩けたそうで、なんというか、すごいなーと思います。

ここからイエスが生まれたと言われるベツレヘムに行きます。
ベツレヘムはパレスチナ自治区にあります。
イスラエルとパレスチナ自治区は壁で区切られているので壁を越えてパレスチナ自治区に入ります。壁については後ほど…

こちらは聖誕教会で、イエス誕生の地として教会を建てたところです。

写真を撮っていないのですが入り口がすごく狭いです。2002年この教会にパレスチナ人が立て籠もって教会を包囲したイスラエル軍と対立するということがありました。
そんな緊迫した状況で、日本人がトコトコとやってきて「観光したいんだけど入れますか?」と教会にやってきたそうです。教会の方が「いやいや、ここは観光とかそんな状況じゃないんですよ」と伝え、日本人は「そうなんですか」と帰ったそうです。なんというか、日本人らしいですよねとガイドさんが言っていました。

教会内部です。当時は天井…かなを大々的に修復していました。これは日本の東日本大震災を受けて「あれだけの地震が起こる」ということで、いろいろなところで地震対策がはじまっていて、その1つだそうです。

さて、パレスチナ自治区にきて、私が一番衝撃を受けたのが、イスラエルとパレスチナ自治区を分離する壁です。

この壁は第2次インティーファーダ(民衆蜂起)でパレスチナ人によるイスラエル側への自爆テロを防ぐために作られた…でいいと思います。パレスチナ自治区とイスラエル…ちょっと表現に迷うのですが…パレスチナ人とイスラエル人の住んでいるところの敷居は特になくて、トコトコ歩けばそこはパレスチナ自治区/イスラエルだったりしたわけです。第2次インティーファーダの際、パレスチナ人がイスラエルを攻撃する際に、子供を前面に出して、その後ろから大人がイスラエル軍を攻撃するという戦術をとったこともあり、イスラエル軍は子供を撃つと国際社会で避難を浴びることになり、それを知っていて子供を盾にするという戦術が選択される…という憎しみが憎しみを呼ぶ戦いが起こっていたそうです。この状況を打破するためには、パレスチナ自治区とイスラエルを物理的に分断するとかないということで、分離壁が建設されました。分離壁が建設されてからは、テロは起こっていないそうです。

分離壁とパレスチナ人にとっての分離壁については壁の向こう側 ―隔たれるイスラエルとパレスチナの今―がいいかな…と思います。

イスラエル人は、イスラエルからパレスチナ自治区に来ることは出来なかったのですが、現在は「パレスチナ自治区で何があってもいいです」という誓約書だったかな…があれば行けるようになったと言っていたと思います。
パレスチナ人は一部の人しかイスラエルに出ることは出来ないです。

こちらがチェックポイント、イスラエルとパレスチナ自治区を行き来するところです。
ガイドさんもパレスチナ自治区にひさしぶりに来たそうです。昔はイスラエルもパレスチナ自治区もそうかわらなかったけど、壁が出来て、ひさしぶりに来たらだいぶ変わっていたと、とても貧しくなっていること、パレスチナ自治区に住んでいる子供達は壁の向こうを知ることができないので、今までは否が応でも異文化がすぐそこにあったのに、それがない、ゆえに異文化を理解する機会が無いと言っていました。

ベルリンの壁は崩壊しましたが、この壁はおそらくベルリンの壁よりも全然厚いと思いました。壁を隔てた民族には今のところ憎しみしかないように思えます。ガイドさんに「イスラエル人とパレスチナ人がなんとかうまくやっていく方法はないんですか」と聞いたところ、「うーん、少なくとも大人の間には憎しみしかないから駄目だろうなあ、子供達に託すしか無いよね、だから私は子供達に異文化を理解してもらうようにいろいろやってる、まあ、ベルリンの壁もなくなったし、いつかはなくなるんじゃないかなー」と言っていました。

 

 

 

 

 

ヨルダンとイスラエル(2014年3月18日~3月26日) ヨルダン編

2014年3月にヨルダンとイスラエルに行ってきました。

ヨルダンにはペトラ遺跡があります。
ペトラ遺跡はインディージョーンズ 最後の聖戦の映画のロケがあったところで子供の頃にそれなりに インディージョーンズが好きだった私はいつか行きたいなあと思っていました。
が、ヨルダンは見所がペトラ遺跡/死海/ワディラムの3つくらいしかない…と思う…ので、なかなか優先度があがらなかったのですが、世界の遺跡をだいたい見たことと、中東はいけるうちにいっておかないと、行けなくなる…実際エジプトだったりシリアだったりがいけなくなっています…ので、行こう!と思って行ってきました。

今までいろんな遺跡を見て来ましたが、ペトラ遺跡はよかったです。何がいいかというと遺跡までのシークと呼ばれる道が最高にいいと思います。シークがなかったら、ただの遺跡であまり面白くなかっただろうなあと正直、そう思います。

ヨルダン等の中東はドバイ等を経由していくのが標準なのかと思います。
今回はドーハを経由して行きました。

ドーハはカタールという国の都市で、カタールがどういう国か?というと 日本との関わりで見ると、天然ガスを輸入している国になります。

石油ガスで成り立っている国で、1人あたりのGDPが滅茶苦茶高く、国民の大半は公務員で、とても裕福だそうです。ドーハを案内してくれたのは、ネパール人の方だったり、工事現場で働いているのは外国から来る出稼ぎの方々です。

ドーハで訪れたのは、トランジットの際に利用できるツアーで、ドーハの悲劇のあったサッカースタジアム、ラクダ市場、空港会社が運営しているショッピングモールの3つです。

もともと砂漠しかなかったので建物はなく、現在ある立派な建物は全部オイルマネーで作られた最近のものです。
なので、見所があるかというと…遺跡大好き人間からするとまったくないのですが、オイルマネーすごい…なのを実感できます。

カタール国籍の方が住むには問題ないですが、外国人向けの何かは何もかも高いです。確か出稼ぎにきている方々も住居費用が高いので、うーん、どうなのかなあ…稼げるのかなあ…と思いました。

さて、ペトラ遺跡はナバタイ人が紀元前に作った街で、紀元前によくこんなもん作ったなあ…と思える遺跡です。いろいろEvernoteに記録したのですが、Evernoteはオフライン状態で記録して、オンラインに移ったときに同期が失敗して、それだけだったらローカルにデータが残っているからいいのですが、この問題を解決するにはVerをUpdateしてくださいとのことで、Updateしたらローカルのデータも壊れた、というなんとも悲しいことになり、記憶を辿って書きます。Evernoteはオンライン状態じゃないと使わない…と誓いました。

まず、以下の写真のような道をテクテク歩いて行きます。

ペトラの遺跡は入り口から遺跡にむかって下っていく感じになりますので、行きは結構楽です。帰りが上りになることと、ペトラ遺跡は遺跡の例に漏れず結構広いので、くまなく歩くと結構体力を消耗します。また、私が行ったのは3月でしたが、すでに結構暑かったので、夏は厳しかろう…と思います。

ペトラの遺跡のガイドブックとしては、地球の歩き方が鉄板だと思います。無茶苦茶詳しく書いてありますので、これ一冊で十分だと思います。

ここからシークに入っていきます。ペトラの遺跡はシークからエルハズネがハイライトだと思うので、いきなりハイライトです。テンションがとても高くなります。

シークは水の侵食により滑らかに削られた自然の地質断層(Wikipediaより)で、なんか、今、写真を見ると全然感動がないのですが、そしておそらく私の撮った写真をご覧になってもまったくそのすごさが伝わらないと思うのですが、もう、なんというか、どこをどう見ても、どう写真に撮っても絵になるという、なんかすごいところでした。

添乗員さんにツアーで一緒だった方が「どこが写真を撮るのにいいポイントですか」と尋ねていた答えが「いやあ、どこを撮っても絵になりますからねえ」と回答していたのが印象的でした。

ペトラの遺跡は治水技術がとても発達していてシークの脇には当時の水路が見られます。


この写真は確か水の中にある砂とかを落とす為に穴がだったと思います。ところどころにあります。


こちらはダムです。 当時のままということで、いやあ、よく残ってるなあ…という感じです。

高い治水技術を誇るローマ帝国は、新たな征服地ではまず水利設備を整えるのが習わしであった。ペトラは106年にローマ帝国に併合されたが、その水利システムは、すでに当時最高水準に達しており、ローマが手を加えるところなどほとんど残されていなった。
地球の歩き方より

ということで、すごかったんだろうなあ…と思います。


こちらがヨルダンのハイライトの一つであるペトラ遺跡のエル・ハズネです。
インディージョーンズ最後の聖戦で聖杯がある場所です。実際に聖杯があった…と思われる場所はここではなくて、また違う場所です。太陽があたる午前中の方が美しいそうです。
エル・ハズネの写真は、シークの隙間から見る…的なものが多いと思いますが、午前中にシークの隙間から写真をとると、エル・ハズネが明るすぎるので、シークの隙間から撮るんだったら午後なのかなーと思いました。
ペトラの遺跡は広いのと、来た道を帰ることになるので、帰りに写真を撮れば…OKです。

こちらが午前中に撮った写真。

こちらが午後に撮った写真です…、むむ、午前中の写真の方が綺麗に見えるかな…

ヨルダンのお土産の一つにサンドボトルというのがありまして、色のついた砂をうまいこといれて、模様が瓶の表面にでるようにするものです。作るところ見たのですが、職人芸でした…
砂をいれて模様を作って接着剤で固めて…を繰り返してできます。
頼むと自分の名前だったりをいれることができます。

ペトラの遺跡はエル・ハズネがハイライトだったりするので、ここを超えるとそれ以上の感動はあまりないのですが、遺跡が好きですと、いやあ、紀元前とか西暦100年代とかによくこんなの作ったよなーとか、当時はすごかったんだろあうなあ…とか思います。遺跡って風化したり、地震で壊れたり、洪水にあったり、火災にあったり、戦争があったりでボロボロになっているので想像力が必要かなと思っています。最近は想像力がなくてもCGで再現して見せてくれるのもあったりして、そういうのがあると好きです。

上の写真は円形劇場です。ローマの支配を受けた都市には必ずあるので、今までいっぱい劇場を見てきました。円形劇場があると、ああ、ローマの遺跡だなーとか思います。確か円形劇場の大きさで当時の人口が推測できるらしいので重要だ!的な何かを読んだ記憶があります。

観光地として整備される前は、穴がいっぱいあいていて住みやすいので、ベドウィンが住んでいたそうです。そのベドウィンにどいてもらって、で、そのベドウィンがどうなったか?というと、遺跡の近くに建設された上の写真の街に住んでいるそうです。そしてペトラの遺跡で働いてます。

建物の上の方に階段っぽい彫刻?があります。確か意味はわかっていないけど、おそらく神様に近くいくために階段を彫ったんじゃないか?と聞きました。

上の写真は街のメインストリートだったところの写真です。

こちらはビザンチン時代の浴場跡です。日本人はなんでそんなに風呂が好きなんだと、外国の方からすると疑問だ、と聞いたことがありますが、遺跡に行くと結構、風呂、あります。なんで、現代はシャワーの文化なのかな…と思ったらWikipediaによると、なるほど…という感じでした。

ペトラの遺跡の一番奥にエド・ディルがあります。だいぶ奥で、階段を結構歩いて登っていきます。

こちらがエド・ディルです。頑張れば…ちょっと入り口が高いので頑張らないと入れないのですが、入れます。入っても何もないですが…
シークを通ってエル・ハズネを見ると「おおー、すげー」と思うのですが、あちらを見た後だとあまり感動しないです。過程は重要だなーと思います。

後ろの山に登ることができまして、登る途中に休憩所だったかな…頂上はこちら…だったかな…の看板を無視してのぼっていくと、上からエド・ディルを見ることができます。
ちなみに、写真には写っていないですが、エド・ディルの正面には小さい店があるので、飲み物を飲みながら、エド・ディルを見られます。

ぬこです。健康状態良好そうです。

帰り道に街全体を見られるところから。
結構広いのですが、遺跡が点在している訳では無いので、1日あれば、入り口から奥まで行って帰ってこられます。

今までいろんな遺跡を見てきましたが、ペトラの遺跡は満足度が高いと思います。遺跡がお好きでしたらぜひぜひ行って頂きたいかなと思いますが…ヨルダンは有名所が、ペトラ遺跡と死海とワディラムしかなくて、他の地域に比べるとせっかくここまで来たからいろいろ見る的なのが難点かなと思います。地球の歩き方も題名が「ヨルダン」ではなくて「ペトラ遺跡とヨルダン」となっていますので…

川原礫著『ソードアート・オンライン プログレッシブ002』を読んで

ソードアート・オンライン プログレッシブ001が面白かったら安心して楽しめると思います。

私はアニメを見て「ソードアート・オンライン」面白いなあと思った口であると共に、アインクラッド編は死んだら終わりという緊張感があったけれども、フェアリィ・ダンス編はその緊張感がなくなってイマイチという感想を持った人です。

ソードアート・オンライン プログレッシブ002では対人戦?があるのですが、その死んだら終わりという条件があるので、ドキドキしながら読みました。この年になってドキドキもないだろうとかある気もしますが…

キリトさんとアスナさんの軽妙なやりとりも健在で、とても微笑ましいです。

次に本が出るのは1年後でしょうか…楽しみに待っています。

広瀬 隆雄著『MarketHack流 世界一わかりやすい米国式投資の技法』を読んで

Market Hackの著者の本です。

Market Hackを購読している方にとっては大半の内容は復習になりますが、「あー、そういえばそうだったなー」と思い出すこともあります。
Blogを読み返す…というか、どこに書いてあったっけなーとBlogを探すよりは、一冊お手元にあった方が、知りたいことをさっと探せていいんじゃないかなあと思います。

私はいわゆるインデックス信者です。
Market Hackにはインデックス投資の弱点が書かれています。

インデックス投資の弱点は「マーケットは長期で右肩上がりである」ことを前提にしている点です。
(中略)
チャールズ・エリンやジョン・ボーグルなどがインデックス投資を提唱した時代は、マーケットにとってとりわけ幸福な時代だったことを忘れてはならないと思います。

私は個別株は持っておらず、ETFもしくは投資信託だけを持っています。
現在のポートフォリオは国内株12%、先進国株28%、新興国株24%、海外債券8%、定期預金28%です。
投資…らしいことをはじめたのは2005年で、そこからETFや投資信託を少しずつ買っていきました。
結果、どうだったかというと…

騰落率は、投資に投下したお金に対してどの程度上げ下げがあったか、例えば100万円の株があって110万円になったら10%です。
騰落率(年率)は、騰落率を年率換算したものです。例えば、100万円の株があって2年で110万円になったら、騰落率は10%ですが、騰落率(年率換算)は4.88%です。

ご存じの通り、2005年以降、リーマンショックだったり、東日本大震災があったりしました。
2005年から2013年までインデックスに淡々とお金をつぎ込んでいった結果、アベノミクスのおかげて、騰落率(年率)が2%になりました。もしアベノミクスがなかったら…今でも騰落率はマイナスで、つまり「新生銀行1.7%5年物の定期預金に全力で預ける」のが最適だったことになります。

※ちなみに、職場の私の同僚は同じくらいに2005年から新生銀行1.7%5年物に全力で預金を突っ込んでいました。2013年にすべて満期を迎え、さて、どうしたものか…と悩んでいました。まあ…そうですよねえ、仕組み預金でもない限り利率0.5%いけばいい方ですから…

おそらく、今後もインデックスだけだと資産の保全ができないのではないだろうと思いました。
そこで出会ったのがMarket Hackでした。

Market Hackは投資していない方でも、読み物として面白いです。「ああ、そんな企業があるんだなあ」とか、「エルサレムにはそんな歴史があったんだ…」とか。

インデックスのみだと厳しい現実を身をもって理解したので、次はMarket Hackに書いてあることを実践してみようと思います。